「教育に關する勅語」
このページについて
時事新報に掲載された「教育に關する勅語」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
教育に關する勅語
今度發せられたる教育に關する勅語は去る一日の紙上に於て我輩が讀者諸君と共に拜〓する所なり我天皇陛下が我々臣民の教育に叡慮を勞せらるゝ深き誰か感泣せざるものあらんや今後全國公私の學校生徒は時々これを奉讀し且これが師長たる者も意を加えて〓々〓〓怠らず生徒をして〓服せしむる所あるに於ては仁義孝悌忠君愛國の〓〓を〓發し聖意の在る所を貫徹せしむ可きは我輩の信じて疑わざる所なり蓋し明治四年政府が始めて文部省を置き教育の制度を定めたるより以來今日に至るまで主義方針の變〓は一にして足らざれども其變〓は何れも當局者の意見に出でたるものに外ならず若し夫れ教育に關する聖意の所在に至りては十年一日曾て〓らせられざるは今更ら申す迄もなき所にして今回は唯特に之を勅語として發せられたるものなれば我輩に於ては世人と共に之に對して敢て一辭を賛すること能わずと雖も然れども竊に顧みて我國教育の有樣が今日猶お幾分の叡慮を煩わし奉りて此勅語を見る境〓に在るを思えば更に〓徃現在の當局者に向て〓憾の〓なきこと能わざるなり抑も全國四千萬の臣民は悉く是れ帝室の赤子にして三千年來の恩澤に浴し〓先勤王の〓風を傳えるものなれば一人として忠孝の〓なきものある可からず〓んや明治の初年以來政府は頻に教育の事に鋭意して邑に不學の人なからん事を期し〓々斯民を導きて怠らざりし事なれば二十年來教育の効能、果して空しからざるに於ては今日の人民たるものは多少事理にも〓じ其務を竭して大に叡慮を安んじ奉る所こそある可き筈なるに實際に猶然らざるものありとせば我輩は先ず第一に教育の當局者に向て其反省を祈らざるを得ず二十年の歳月は〓して短しと云う可からず若しも當局者にして最初より聖意の在る所を體し其方針を一にちて〓みたりならば時に制度の小變更あるも〓〓は終始貫徹して其結果頗る觀る可きものありしならんに當局者に更〓の頻々なりしが爲めとは云へ年來教育の方針は常に一定すること能わずして五年にして變じ三年にして改まり甚だしきは一年にして其〓〓を異にしたる事さえあり人民は〓從する所を知らずして方向に〓う〓なきを得ず然るのみならず彼の德育の事などに至りても最初は西洋流の倫理學を採用し中頃は儒教主義と爲り更に改まりて倫理論に復し又〓來は立國の大義云々を唱えるなど豹變極りなくして其底止する所を知らざるにぞ此邊の事なども自然に九重の聽に〓し〓念淺からずして扨は今回の勅語を拜するに至りし者ならん歟左れば此勅語に就て文部大臣の訓示にも躬、重任を荷い日夕省思して嚮う所を愆らん事を恐る今勅語を奉承して感奮措く能わず云々とあるは即ち〓徃の事を顧み自から反省したる〓を見る可くして今の當局者の苦心も亦此邊に在るを察するに足る可し我輩は勅語を拜讀して一般人民と共に教育に關する叡慮の淺からざるに感激すると同時に當局者が反省の〓に切にして今後よく聖意の在る所を貫徹せしむるに懈ざらん事を祈る者なり