「明治二十三年」
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時事新報に掲載された「明治二十三年」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
明治二十三年
明治二十三年も今や〓に盡きんとす歳末に臨んで〓徃の日月の〓々たるに驚くは昧年人々の常例なれども本年は取分け短きを覺えて春夏秋冬四季の變〓も猶お昨今を隔てるが如きの感あるは蓋し〓會の形勢の殊に多事なりしが故なるべし回顧すれば經濟〓會に金融必〓の聲を催して高く世間に喧傳したるは本年々〓より事にして比年勃與したる株式會〓に關係の人々は最も其衝に當り全體に於ては敢て左程の事もなかりしかど日本銀行が爲めに新たに〓保品を定め又根抵當を許し或は〓〓〓券の發行額を〓むる等その動揺一方ならず五月〓に至りて纔に靜定したるが如くなりしかども其〓定は日本銀行の融〓を開きたるによりて頓に衰〓を挽〓したる故に非ず恰も漸く〓聲の〓渇したる姿なりしことなれば爾來今日に至るまで諸會〓中には〓々の〓に定めて幾多の〓沈もありしなるべく年末の際苦心經營容易ならざるもある可し要するに其困難は今年を以て終りとなさず明年に繼續して重ねて一層の波〓を生ずることならん歟と我輩の今より窃に掛念する所なり又〓〓氣〓不〓にして〓〓〓多なりしが爲め米價の騰貴を來して都鄙の騷〓最も甚だしく細民の困難殆んど聞くに忍びずして一揆暴動の沙汰さえあり政府は之が爲めに外國米を輸入して一時の急を救う等臨時の處置もありしが日を經るに從い農作は却て豊なるべしとの吉報を齎らし米價漸く下落して世間の愁眉を開きたると共に年はいよいよ豊年の實を〓わしたれども左ればとて米價は濫りに下落せず例年よりは餘程高きを得て民間に潤澤を與えたるは誠に慶事と云わざるを得ず又外國米の輸入もあり其他全體に輸入の輸出に超〓し居たる所へ米國銀貨案の結果は後半季に於て激しく爲替相塲の變動を與へ爲めに生絲の如きは最も其賣行を妨げられて横濱の〓塲に未曾有の在荷を見たる等の事〓より大に輸出入の不〓均を來し世人をして其前〓を危ぶましめたる程なりしが去月の初頃より爲替相塲の下落と共に多少生絲の手合わせを生じて隨て輸出に百萬圓餘の超〓を見るに至りたれども其額の僅小なること例年の比にあらず毎々一年中の輸入超〓を〓〓すべき季〓に當りて斯までに商勢の振わざるは生絲商人のみか國の爲めに計りて安からざる事と云うべし〓報によるに彼の銀貨案も米國に於て永く其方針を持續すること能わざるやの趣なれば其變動の吉凶は或は明年に至りて之を見るべきか今より當事者の〓意を要することなる可し、經濟〓會の事〓は〓ね此の如くにして〓年無事の時ならば世人の〓意を促すことも亦一層切なるべきに政治社會の形勢は更に人心を動〓せしむるものありて六七月の交に當り國會議院撰擧の熱度は殆んど其頂上に〓し各地方は勿論府下に於ても撰擧の事に加えるに所謂中央政事家の周旋繁忙の端を啓きさしもに人口に噴々たりし勸業大博覧會の如きも國會談に對して僅に消極的の反抗を試みたるのみ積極的に天下の産業心を喚〓すること能わざるものゝ如くにして止み引續き三黨合同論なるものゝ出でゝより政黨員の離合集散最も繁く〓に政〓法第二十八絛の云々〓りて夫れより舊分れ新合し先頃に至りいよいよ國會を開院して其議事の模樣は〓日の紙上に〓載したる〓りにして有名なる商法施行期限案も延期と一〓し又豫算委員は政府の要求額に大〓〓を加えて明年早々衆議院の議に付すべしという其結末は如何及び他に國會の議〓する所は何れの邊にまで及ぶべきや何れも來春に持越すべき談にして百事〓忙天下の耳目をして殆んど應接に遑なからしめんとす要するに本年の政治〓會は國會開設を中心として幾多の波瀾を生じたるものにして各種法律の續出したるも之が爲めなり憲法解釋論の〓々たりしも之が爲めなり而して政府部内に於ては海軍、文部、農商務、内務等の大臣更〓もあり〓又絛約改正に關する評論も〓て以て政界の談柄を煩雑ならしめたる事なれば世間は唯評論聲中に日月を〓たる姿にして今や年の〓に暮れんとするに當る徃事を〓想して其經歴を尋ぬれば米價騰貴の騷ぎも昨日の如く政黨離合の談も猶お耳〓にある心地事變の人を〓〓して他を顧みる遑なからしめたるが故なりと云うべし、右の如く〓忙の〓に〓〓せられて經〓せしものゝ其政治上及經濟上其の他〓會一般に〓環せつ事變の結果は如何なる事相を現わしたるやと顧み來れば國會と云い貿易と云い金融と云い其他〓會の事相多くは明年を俟ちて繼續するものなれば暦數の年は爰に流れて盡くると雖も人事の年は未だ一年を終えずと云うも不可なきが如し唯吾人の期する所は年と共に心事を新たにして芽出たく事を終り又芽出たく事を始め人事の一年を芽出たく始終する一あるべきのみ