「明治二十四年一月一日」
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時事新報に掲載された「明治二十四年一月一日」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
明治二十四年一月一日
東風未だ到らずして嚴寒、春を鎖すと雖も一夜明くれば千門の松竹、新を表して人心自から新に屠蘇一盃陶然として乾坤を俯仰すれば天地萬物亦皆な春ならざるはなし正に是れ明治二十四年新年の一月一日にして凡そ日本國中行く處到る處千里同風この日を同ふしてこの情を共にせざる者はある可らず新年の歡情正に斯くの如くにして其歡の偏に永久ならんこと吾人の共に希望する所なれども顧みて人間處世の實際を見るに却て其希望に反するもの少なからず古來、人の言に歡樂極りて哀情生ずと云ひ人生不如意の事多しと云ふ其意味は能く浮世の有樣を寫して事實に違ふことなく心波情海波瀾多くして昨日の歡は今日の悲と爲り今日の得意は明日の失意を圖る可からず悲歡得失昨是今非、觀じ來れば實に有爲轉變の世態にして人生の無常を悟る可きが如し盖し人間は有情の動物にして事に遭ひ物に觸るれば自から情を動かして喜悲することを免れざれども人生天賦の性質には亦自から聰明堅剛のものありて社會複雜の事物に處し能く其利害得失を判斷し又能く之に當るの力なきにあらず其性質とは即ち智勇の二つにして智は以て事を判斷し勇は以て事に當る可し共に人生に缺く可らざるの性質にして人人の行爲に兩者の働き其平均を失はざるときは事に蹉躓行違ひの患、少なくして世に不平失望の沙汰も稀なる可しと雖も惜む可し今の學者士君子流の人人は智に餘りありと雖も勇に乏しくして將に智〓に流れんとするの患なきにあらず抑も事の大小〓重利害得失を判斷するは即ち智の働にして吾吾人間の世に處するに智力の大切なるは勿論なれども唯事を判斷するのみにて自から之に當るの〓なければ其働は無用にして適ま以て人心を〓了するに過ざるのみ輕擧妄動して事に益なきは猪武者の勇にして我輩の固より取らざる所なれども若しも我に一片〓〓の精神なく所謂■(きへん+「巳」)杞人流の見を以て漫に〓世界の〓〓〓を測量せんか其風雲波瀾變幻出沒の状は唯驚く可く怖る可きのみにして智の働も亦〓せざるを得ず葢し人智は聰明なりと云ふと雖も其聰明には自から限りなき能はずして限りあるの智を以て限りなき世態の變化を測量するは到底能はざるのみならず漫に小智を逞ふして却て判斷の正を得ざるときは一身以外社會の萬象總て是れ驚悸の種ならざるはなく頻りに病を怖れて却て病に罹り悸心に暗鬼を見るの怪を免れず、斯る心を以てすれば年を重ぬるは一年の死期を近ふするものにて門前の松竹は冥土の塚に異ならず新年の歡も喜ぶに足らずして一年の計さへ定まらざるのみならず時時刻刻心を勞するのみにして三百六十五日一日も安心の日はある可らず誠に哀れ墓なき次第なれども社會事物の成行は必ずも其測量の如くならずして別に自から歸着する所あるを見る可し例へば昨年春夏の交に氣候とかく順ならずして秋の收穫も如何あらんとの掛念より世間に饑饉の恐惶を催ほし頻りに心を痛めたる其痛心は空にして秋收の結果は案外の豐作なる其上に米價は割合に下落せずして民間の喜び一方ならず又昨年は海外の市塲不景氣の影響より生絲の輸出停滯して三萬梱の在荷、積んで横濱に山を爲し年内の商賣は絶無ならんとの心配も少なからざりしに年末に至りては頗る輸出の路も開けて今後の望もなきに非ずと云ふ又國會開設の一事とても其開設には異論なしと雖も結果の如何に至りては竊に氣遣ひたる者もなきにあらざりしが扨いよいよ開設の上にて實際の有樣を見れば何人も其成功を疑はずじて前途の望を屬するが如く■(きへん+「巳」)憂の憂ふるに足らずして事の成行の自から歸着する所あるは大抵斯の如きものなれば處世の實際に智も亦缺く可らずと雖も社會の大勢に當りては順に居て順に安んせず逆に處し逆に屈せず常に自から勇を鼓して進取の覺悟大切なるを知る可し軍人の説に戰ふて勝つときは士氣大に勇み大抵の負傷は速に回復して死するもの割合に少なしと云ふ即ち人生に勇氣の必要なる一例にして苟も勇氣、内に盛なるときは世態人事の變化浮沈も畏るるに足らざるのみならず或は禍を轉じて幸と爲し悲を變じて喜と爲すの塲合もなきにあらず左れば今の學者士君子流の人人も其智に兼ぬるに勇を以てし小膽小智、漫に苦勞を事とするを止め大勇大智、社會の活事物に當りて忌避する所なく然かも餘裕綽綽として常に滿胸の愉快を存する其愉快は正に新年今日の歡の如くにして其歡の偏に永久ならんこと我輩の希望する所なり