「教育の勅語に就て文部大臣の責任」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「教育の勅語に就て文部大臣の責任」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育の勅語に就て文部大臣の責任

過般發布せられたる教育に關する勅語に就ては當時の紙上にも述べたる如く忠君愛國孝悌信義凡そ吾吾人民が一國の臣民として又一家の子弟として日日率由す可き常道を特に勅語として發せられたる迄のものなれば我輩の一辭を賛すること能はざる所なれども扨文部大臣が官立の學校は勿論全國公私の學校に至るまでも此勅語を頒布して其實効を期するに至りては自から責任の尋常ならざるを見る可し即ち今後全國學校の教員學生が勅語の精神に對し從來の觀を改めて徳育上に特殊の色を表す可きや否やは文部大臣の責にして其責任は極めて重大なりと云はざるを得ず抑も徳育の要は我輩の毎度陳述したる如く口、以て教ゆ可らず手、以て諭す可らず師表者自身の行状、即ち徳育の標凖にして如何なる道徳書を講し如何なる訓令を發するも之を講し之を發する其人に自から人に師表たるの行状なるにあらざれば其講義訓令も唯是れ一塲の空論にして實際には何等の功能もある可らず或は徳に公私の區別を爲し私徳の私は兎も角も外に現はるる行爲にして道に缺くる所なく然かも一般社會の風教を補くるに與りて力あるときは即ち公徳の大を行ひたるものなりとて自から説を爲すものもなきに非ずと雖も元來公徳は私徳より生ずるものにして徳に公私の區別はある可らず古來の確言にも忠臣は必ず孝子の門に出づるの語ある如く親に孝ならずして能く君に忠を盡し、友に信ならずして能く國を愛する者なきは實際の事實に徴して我輩の疑はざる所なり左れば徳育の問題に就ては唯その責任者の品行如何を問ふのみにして他事ある可らず從來文部の當局者を見るに政府の一大臣として學政の事を料理する材能技倆は兎も角も若しも徳育の標凖として全國師表の地位に立ち毫も慚色なきものを求むれば其人を得ること頗る難しと云はざるを得ず然るに今の文部大臣は政府の大臣として學政當局の責に任ずる猶ほ其上に全國徳育の師表者として自から表面に立つものなれば其責任の重大なる想ひ知る可し今後全國の教員學生が能く勅語の精神を體して徳育上に特殊の觀を呈す可きや否やも一に大臣の責任に歸するは勿論、事の觀察に敏にして評論の密なるは學校の教育に從事する人人の常にして殊に品行の一段に至りては最も注目する所なれば今後徳育の師表者たる文部大臣の一言一行は恰も觀察評論の衝に當るものにして若しも其言行に微塵にても解せざる所あるときは忽ち全國の物議を免る可らず最も難儀の局なれども當局者は自から難局を覺悟して之に當りたることならんなれば今後の事實に於て必ず其責任を空ふせざらん事は我輩が世人と共に期して待つ所なり