「大功名を謀る可し」
このページについて
時事新報に掲載された「大功名を謀る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
大功名を謀る可し
丈夫世に處して功名の志あらざるものなしと雖も其生や不幸、時に逢はず空しく志を抱て死するもの古來その數を知る可らず幸にして千載の時に會し且つ其技倆を現はす可きの地位に在りながら區區たる私情の拘束を脱するの勇なく遂に志を得る能はずして再び逢ふ可らざるの一生を不平の中に了するに至りては遺憾殊に甚しからざるを得ず我輩を以て今の政治家を見るに民間に在る後進のものは姑く擱き維新以來政治の局に當りて所謂今代の第一流と稱する人人の中には銘銘夫れ夫れの技倆を備へて然かも千載の一時に際し十分に其志を逞ふす可きの地位に在るにも拘らず實際に事業の見る可きもの割合に少きが如し或は其名聲の甚だ盛にして得得の外貌あるを望み見て頻りに之を羨む者も多しと雖も斯の如きは凡俗の見にして若しも親しく當局の人に接して其眞情を叩きたらば銘銘不平を訴ふるのみにして眞實に得意のものは一人もある可らず其然る所以のものは何ぞや當局の政治家は唯一人のみならずして何れも功名の志あらざる者はなく我に其志あれば彼も亦其志なきを得ず甲乙丙丁互に志を得んとして相競ふの極は互に衝突して互に不平を免れず即ち政治家中、常に集散離合の變多く實際に得意の者なき所以にして世人の認めて政府の大事業と爲す所のものにても其實は衝突不平の間より端なく生じたるものも少なからず彼の國會開設の一事とても單に此一點より觀察すれば亦意外の結果あるやも圖る可らざるが如く政治家の胸中に小功名の私情を脱せざる限りは眞實得意の日は遂に來らずして遠大の大功名は到底望む可らざるものと覺悟せざるを得ず昔し豊公秀吉が天下を掌握して更に海外の明韓二國までも一に併せんとするの大志を抱くに當りては先づ心を屈して徳川家康を招き肝膽を披て之と事を與にしたるは大功名の爲めに私情を捨てたるものにして又其家康が關ケ原の一戰に子孫二百五十餘年の基を開くに當りては平生の恩讐を問はずして廣く東西の諸侯に結びたるが如きも是非豊公の故智を學びたるものみ外ならず平和の功名も亦戰爭の功名に異ならずして苟も功名の大に志すものは先づ其私情を捨てて人と共にするの餘裕なかる可らず若しも今の政治家中三四の人人が互に私情を忍び隱然相軋るの弊を脱して政治の局面をば其共有物と心得表面には其中の何人が最上の地位に位するも内實は數人共同の實を全ふして共に其局面に當らば今後政治の事は猶ほ大に爲す可きものなきにあらず彼の條約改正の如き當局者が幾年間の勞力の結果は單に兩回の失敗を重ねたるに過ぎざれども内に私情の拘束なくして當局者の運動自由自在と爲れば條約改正は勿論其他の事に至りても力を勞すること少なくして功は却て之に倍するの結果ある可し顧ふに維新以來政治家の事業は少なからずと雖も我輩の所見を以てすれば眞に國家永遠の大計として他年後世に傳ふ可きものは僅に指を屈する程なりと云はざるを得ず而して政治上紛紜の事情より間接の影響を受けて冥冥の中に國運の發達進歩を妨げたるの事例もなきにあらざれば後の歴史上の差引勘定に於ては今の政治家の功過は全く平均して一物を遺さざるの奇觀あるやも知る可らず人生は草露の如く其消するや朝を終へず私情に戀戀して互に小功名を角するときは終生營營得意の時はあらざるのみならず得失齷齪の間に生を送りて事業の身後に傳ふるものなく一代の政治家として素志に負くこと少なからざる可し今や國會の議塲も開け民間後進の政治家も頗る成長して政治上に老壯交代の時機次第に切迫する此時に當り先輩の政治家たるものは自から省みて前圖を改め一身の爲め國家の爲めに最後の大功名を謀るの覺悟肝要なる可し