「議會の責任」
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時事新報に掲載された「議會の責任」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
議會の責任
責任内閣の論は年來民間の政論家が喋喋したる所にて其趣旨の何れの邊に在るや知る可らずと雖も我輩の所見を以てすれば西洋立憲の諸國に於ては政府當局者の政略が國内多數の見る所に反し國會の議塲に於て政府の意見は到底行はる可らずとの見込あるときは當局者は相率ゐて其地位を去り他の反對者が之に代るの例なれば論者も或は其例に倣ふて之を我國に實行せんとするものならんか果して然らば我輩に於ても異議なき所にして論者と共に一日も早く其實を見んと欲するものなれども抑も責任内閣とは單に當局の内閣のみに責任あるの義にあらずして之に反對する民間の人人には亦その心掛なかる可らず即ち當局者が責任を全ふして一同辭職の塲合に當り之に代る者は國會の内外に於ける反對の人人にして其人人が一朝これに代るときは取も直さず責任の地位に立つものなれば此塲合に於ては退く者も進む者も共に責任の重きを見る可し而して其責任とは如何なる義なりと云ふに單に難きを他に責むるものにあらず例へば當局者は斯く斯くの意見にて斯く斯くの政略なりと雖も其意見政略は云云の次第なれば實際に行ふ可らず或は之を行ひたるが爲めに云云の不都合を見たりとて之に反對する其反對の説が國人多數の所見に適して之が爲めに當局者の辭職と爲れば反對の人人は直に代りて自家の意見政略を行ふの責に任ずるものなるが故に當局者の處置に反對して其責任を責る議論の結果は即ち反對者の責任にして雙方共に責任の重きを免る可らず事情かくの如くにして始めて責任内閣の實を見る可きなり我國に於ても年來民間に種種の政治論少なからずと雖も何れも無責任の論にして恰も天邊に向て空砲を放つと一般のものなれば隨て其論の駁雜にして條理の見る可きものなきも勿論なれども今日は國會も開け政府と議會と正正相對するの塲合なれば議塲の言論は一言半句も忽にす可らす殊に年來責任内閣を冀望したる論者に於ては自家の意見を陳ぶるにも又政府の案に反對するにも其言論には特に注意して自から責任の重きを期せざるべからざるに實際には然らずして寧ろ自から輕んずるの觀あるは其平生の議論に徴して我輩の甚だ失望する所なり例へば豫算案の一事に就て論ぜんに議塲の有樣を見れば豫算委員會の議决なる一千萬圓の■(にすい+「咸」)額を始めとして或は七百萬圓と云ひ或は五百萬圓と云ひ何れも急激の節■(にすい+「咸」)を旨とするが如し其説に如何なる理由あるやは知るべからずと雖も單に原案の金額を見て高しと云ひ去るが如きは一塲の空論に過ぎずして議塲の責任論としては輕忽の譏を免る可らず思ふに今の政費は一國の經濟に割合して决して廉なるものに非ずと雖も溯りて政府の事情因縁を尋ぬれば其由來久しくして既に一種の痼疾を成したるものなれば之を療するには自から其疾に適するの醫案なかる可らず之を喩へば今の政府の情實は年來飮酒の癖に溺れて滿身酒毒に中てられ身體自由ならずして行歩蹣跚の容體を呈したるものにて醫家の治方に於て此種の患者を療するには一盃二盃と次第に酒量を節して遂に全く其癖を絶たしむるに在り若しも然らずして一時に飮酒を嚴禁すれば患者は爲めに倒れざるを得ず左れば最初酒に溺れて自から節するに怠りしは政府當局者の失策に外ならざれども病の重體に陷りたる今日に至り醫療の責に任ずる議會の人人が從來の經過をも聞かず現在の容體をも問はず直に急激の處法を以て一時に其病根を絶んとするは取も直さず病人を倒すものに異ならずして醫家の任を全ふするものと云ふ可らず元來我輩は情實治療の責を今の議會の人人に所望するものにして議會開設の上は政府年來の情實病も年を逐ふて全治の功を見ることならんと期したりしに斯る治療の有樣にては他を治するの望は扨置き却て自家の不養生を免れずして或は病を以て病に易ふるの奇相を見ることもなかる可きやと竊に掛念する所なり
右は唯豫算案の一例に就て論じたるに過ぎざれども議會の言論は其責任輕からずして一言半句も忽にす可らざるは申す迄もなく今日の有樣にては當分の處は責任内閣の望もなきが如しと雖も今後議會の政論次第に發達して次第に事實に近き責任の實を備ふるに至れば事局自から一變して政府に向ても亦その實を責むるの地位に達すること敢て難きにあらざれば議會の人人は今より自から省みて責任の重きに任じ其言論擧動に注意して年來の素論の如く一日も早く責任内閣の實を擧ぐるに至らんこと我輩の希望する所なり