「千載の遺憾」
このページについて
時事新報に掲載された「千載の遺憾」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
千載の遺憾
明治政府財政の始末は年來の情實に由縁して民間の物議を招く可きもの甚だ少なからず此有樣にして改むる所なく優悠經過し去りて端なく國會開設の時期にも偶はば必ず紛擾を免れざる可きが故に政府は時に先ちて前〓を改め當局者自から率先して先づ其情實を一掃し人の淘汰す可きものは之を淘汰し費用の節す可きものは之を節し次第に部内の始末を付け斯の如くにして國會開設の前に財務の整頓を致し議員をして漫に容喙するの餘地なからしむ可しとの意味は我輩が幾度か陳述して當時の時事新報に記したる所なれども當局者は之を一讀するの暇なかりしか將た之を讀むも之を行ふの勇に乏しかりしものか我輩の所論は實際に空論と爲りて今日の塲合に推移り果して議會の紛紜を見るに至りたるは返す返すも遺憾なりと云はざるを得ず抑も明治初年來の始末を見るに財政上に於ける政府の處置は其當を得ざるもの甚だ多くして一一枚擧するに暇あらざれども其事蹟の外に顯はれて失策の著るしきもののみにても之を數ふれば双手の指を屈して猶ほ餘りあるが如し一千萬圓の起業公債は募集を全ふしたるに相違なけれども其公債を以て起したる事業の結果は如何、士族授産の爲め國庫より支出したる金額は莫大の高なれども多くは強藩人の手を經過して其行く所を知らず全國の士族に餘澤の及ばざるが如き始末はなきや如何、釜石生野を始めとして鑛山の事業に着手し中途に失敗したるは政府の仕事として怪しむに足らざれども其中に相應の收益あるものは不相應の代價を以て一個人に賣渡したる其次第は如何、正金銀行が明治十五年頭取更迭の後、遽に政府の特恩に浴し爾來今日に至るまで其業に割合して利益の非常なるは如何、共同運輸會社設立の事情より三菱會社と合併して日本郵船會社を組織するに至りたる其始末は如何と溯りて一一これを詮議したらば百怪の變相忽ち露出して政府當局者の中に大に迷惑するものもあらんなれども以上の失策は既に其過を〓げたるものにして跡より取返しの付かぬことあれば其は其迄として今更洗ひ立を爲さずとも若しも政府が國會前三四年の頃より其〓を改めて財政の始末に注意したらんには他に先鞭一着して猶ほ大に爲す可きものなきに非ず申すも恐れ多き事ながら帝室費の如きは從來二百五十萬圓以内のものが二十二年度よりは三百萬圓〓増加せり世の■(きへん+「巳」)憂者は國會の開設を或は不祥の事と心得、開設の上、議塲にて帝室費を云々し若しも異議する者もあるときは至尊の恩光を涜し奉るの虞なきにあらざれば事に先ちて帝室の財産費額を定め置き成る可く議會の議を經ざるやうす可しとの説もなきに非ずと雖も我輩の所見は之に異なり普天の下、王臣に非るなく率土の濱、王土に非るなしとは正に日本の臣民が帝室に對し奉るの情にして國中誰一人も帝室の御用に奉ずるを厭ふものとてあらざれば實は帝室に於ては別段に御財産を備へらるるの必要なく自然御用のある度ごとに臨時仰付らるるも差支なき程の次第なれば國會の開否に於て帝室の經費に掛念するが如きは寧ろ不忠の言なりと云はざるを得ず左れば帝室費は從前の儘にして却て其御儉徳を天下に示すを一般の模範として政府の大臣が先づ第一に此模範に則とりて俸給を■(にすい+「咸」)じ爵位族稱を辭し彼の官宅交際費の如きも勿論これを廢して自から第二の模範と爲り扨以下の勅奏任官の處分に至りては敢て自から手を下すに及ばず凡そ其模範に據りて銘銘自身の草案に任せたらば斯る事情に際しては何人も私情を動かすものあらざるが故に節■(にすい+「咸」)の實は圓滑に行はれて不平を唱ふるものなく政府部内年來の情實も不言の間に消滅して其結果の甚だ妙なるは申す迄もなく之が爲めに世間の人望も次第に回復して政府の實力を増し國會の開設に至りても今日の如き紛紜を見るの患はなかりしならん好しや之ありと雖も政府の覺悟豫め定まる所あるに於ては之に對するの處置は甚だ容易なりしならんに今更いふて甲斐なきことなれども前以て政府に其决斷なかりしは返す返すも遺憾にして我輩は其言の當時に行はれざりしを思ひ之を千載の遺憾として忘れざるものなり