「國會の人望」
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時事新報に掲載された「國會の人望」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國會の人望
現政府が民間に友を得ざるの次第は我輩曾て之を論述したり然らば國會は之に反して人望あるかと云ふに决して容易に認むること能はず前途甚だ議員の注意を要するものの如し夫の黨派間の内情と云ひ將た議員その人の心事如何は暫く問ふべき限りに非ずとして試に其議事の實迹に就いて之を觀察すれば第一着に商法の實施を延期したるは我輩の最も賛成する所にして慥に輿論に叶ふて人心を滿足せしめたりしは又敢て疑を容れず蓋し法律制度の善惡は唯その國の民度に適すると否とを顧みるものにして絶對的に理論を標凖として定むべきにあらず况んや商法の如き專ら人事を處栽するものは他の公法の比ならざるが故に假令へ其法文は完美を悉したるにもせよ商人の進度習慣と互に適應するに非ざるよりは啻に良法の効を奏せざるのみならず偶偶反對の害を釀すに至ることある可し之を喩へば我國の商人は漏鼓の音を聞いて時刻を計り來りしに俄に商法と云へる懷中時計の舶來に逢ひたるものの如し舶來の懷中時計は洵に精巧緻密にして一分一秒の細も誤らざるは珍重の至りなれども一般商人が漏鼓を數へたるの心得を以て漠然として時を送る其間に機敏怜悧の輩が今は何時何分何秒なりとて證據の時計を差出し以て其〓を凌ぐことあらば商事の安寧望む可らずして徒に經濟社會を撹擾するの不幸を見るべし故に商法の何千何百〓を細規して其精巧緻密なるは法律の雛形として决して惡しと云ふ可らず猶ほ多少の修正を加ふるに於ては實に法界獨歩の美觀たるべしと雖も如何せん今は商〓不相應の〓〓なれば國會が輿論を代表して其實施を〓〓したるは商〓社會を安心せしめたるものと云ふべく百事に斯る筆法を以て進むときは次第に人望を收攬して他日の希望も亦敢て空しからざるべきに爾後おひおひ議院の動議案なりとて世上に傳ふる所を聞けば我輩をして實に案外至極の感を抱かしむるもの少なからず例へば地價特別修正案の如き經濟の通理に反し人民の財産權を容易に動搖せしむるものにして一見その非の明白なるのみかイヨイヨ之を實行するに於ては政道に信なきの譏を受けて果は一揆暴動の沙汰ともなるべし安寧幸福を目的とする國會議員の身にてありながら斯る看易き劇論を呈出して民間を動搖せしめ土地の賣買をも中止せしめて間接直接の損害を與ふるとは其主意果して何くに在るや將た又日本鐵道會社、郵船會社等の命令書更正の建議の如き會社の保護と云へばこそ其名穩かならざるに似たりと雖も一箇の會社は即ち是れ幾多の株主にして其株主は政府の此約束あるを算し百圓の株券も増して百五十圓に買受けたる者なるに一朝隨意に命令書を更正して株主の財産を蹂躙せんとするは抑も人心を收め信用を貴ぶの本意なるや又地租輕■(にすい+「咸」)論の如きも名は民力休養と稱しながら實は地主の富めるを繼ぎ多數の農民には毫も其恩澤を及ぼさざるのみか往く往く土地兼併の勢を促して數年の後には今日の惠まれたる者も變して當時の■(にすい+「咸」)租を怨むの日あるや必然なるべし怨の種を蒔いて人望の實を收めんとするは顛末不揃の談にして國會の精神を忘るるものと評せざるを得ず凡そ此等の理非得失は我輩の兼て詳論したる所にして心竊に國會の信用を厚くし其前途の福を祈りしに昨今の動靜を察すれば彼の人心に遠ざかるの議論は未だ全く消滅せずして其成行の甚だ頼母しからざるは誠に遺憾の至りに堪へず議員諸氏も定めて記臆するならん先年政府が机上の空論に心醉してブールス條例なるものを發布し未だ之を實行せざるに如何なる結果を惹起したるや徒に商安を妨害したる迄にして其發案者は世にブールス大盡と稱せられ人の嘲りを招きたるのみならず府下の或る地に居住せる醫師某の如きは株式取引所の株券幾枚を貯藏し之を養老の資と恃み居りしにブールス一件の爲めに其株券も一時反故に等しと聞き落膽の極、取逆せて遂に縊死したるもありしよし即ちブールス條例は人を殺したるものにして今の地價修正案その他とても亦殆んど之に類する上に而も其影響の遠く且つ大なるものあり人民の安心は重からざるか人望の收攬は要なきか昨は商法を延期して動搖を鎭め今はブールスを學んで物論を招かんとす何んぞ其前後の甚だ相同じからざるや
抑も國會は萬能の望を負ひ廿三年は待ちに待たせたる振古未曾有の機會なるに其國會の謀る所は人民の喜びに非ずして憂なり安きに非ずして危きに在りとは大體に於て既に其本旨に戻れり今や政府は官民不調和の宿痾を治すること能はずして之に信憑〓服するの民なく又その政策方針を助くるの友なし而るに國會は恰も之に對峙し將に大に政道を〓革せんとするに當り先づ第一に人心を收めんことを念はずして却て輿望の來るを抛擲するが如きは誠に智者の事にあらず我輩の傍より遺憾に堪へざる所なり