「生絲相塲所」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「生絲相塲所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

生絲相塲所

今の日本の士流は其身の文明日進の社會に生れたるにも拘はらず封建士族の餘習を脱する能はずして兎角商賣の事を輕蔑するの風なきに非ず此風は殊に官邊の社會に流行して相塲所を視ること蛇蝎の如く定期賣買と云へば一般に投機の事として之を忌むこと甚し彼のブールス條例なども畢竟この邊の毛嫌ひより發したることならんなれども抑も今の商賣社會に相塲所の設なくして一切定期の賣買を止めたらば其有樣は如何なる可きやと云ふに我輩の所見に據れば爲めに商賣社會の活動を鈍らし却て投機心を刺激するの恐ありと云はざるを得ず試に今日東京に米商會所を設けずして限月米の取引なしとせば新〓の商人は東京の米價を知るの道なきより概略の臆算に萬一を僥倖し米を買集めて之を東京に送らんに其到着の折が偶然にも米價騰貴の時機に際會すれば意外の幸運なれども若しも反對の事相に撞着すれば亦意外の不覺を取らざるを得ず其幸不幸利不利は共に意外の運にして投機の最も甚しきものなり然るに定期賣買の行はるるときは新潟の商人は斯る危險の〓道を踏むに及ばず東京の直段を聞て直に賣買の約定を爲し跡より實物を送るが故に其取引は誠に安心にして爲めに投機の心を動かすこともなかる可し定期の賣買を以て投機の事と爲すものは寧ろ無實の誣言なりと云はざるを得ず扨今日我國の商品中にて重なるものは第一に生絲を推し輸出品の大半は生絲にて占むる程のものなれども實際に養蠶家が繭を作りて之を賣り製絲家が絲を製する爲めに之を買入るる其賣買の有樣は不完全至極のものにして安心の取引を見る可らず抑も製絲家が繭を買ふ其直段の標凖は如何にと云ふに全く前年の輸出の景氣を當にして直段を定むるものなるが故に若しも高直を以て繭を買入れ絲を製したる處にて其年の輸出不景氣なれば製絲家は非常の損を蒙らざるを得ず即ち昨年來生絲輸出の實例の如くなれども之に反して輸出の景氣意外に好况なるときは製絲家の利する代りに養蠶家は損するの例にして其實際は養蠶家製絲家共に投機の事を行ふに異ならず然るに若しも生絲相塲所の設けありて定期の賣買行はるるときは養蠶家が繭を賣るにも製絲家が之を買ふにも共に急ぐの必要なく靜かに直段の成行を窺ふて賣買するが故に共に投機に類する事を行ふに及ばずして安心の商賣を見るに至る可し而して更に外商と取引の實際を見るに今の世界に於て生絲を産する國を數ふれば西洋にては佛蘭西伊太利の二國東方にては日本支那の二國のみなれども日本の絲は前諸國の産に比して其品質决して劣等のものに非ず西洋の市塲に於ても相應の聲價を維持することなれば我生絲は國内の商品に非ずして世界の商品なるに然るに賣買の實際は南洋諸嶋邊の野蠻人が手獲の未成品を文明國人に賣渡すと一般の有樣にして貿易の權は恰も外商の手に歸し取引の塲所もなければ賣買の直段も立たず而して取引の始末と云へば唯幾梱幾個を何百何十弗にて何番館に賣込みたりとの事後の結果を知るに過ぎざるのみなれども畢竟斯る事の有樣も我國に生絲相塲所の設なきが爲めにして我商賣社會の不面目のみならず其内外取引上の不利この上ある可らず左れば生絲相塲所を設るは今日の急にして定期の賣買行はれ其直段市塲に現はるるときは生絲の商賣は既に投機の業に非ずして養蠶家製絲家の安心を來す其上に追ひ追ひ確實の資本家が大金を投じて其賣買に從事することともならば益益商賣の安全を致すのみならず元來生絲の物たる米などと違ひ永く之を圍ひ置くも容易に品質を變ずるの患なきものなるが故に從來の如く僅僅數箇月を支へずして賣崩すなどの掛念もなきに至る可し故に我輩は先づ取敢へず横濱に其取引所の設置を望むものなれども扨これを設くるに就て差當りの故障は彼のブールス條例なり抑も二三官吏の發意にて要もなき條例を造り商賣社會の運動を束縛せんとするは埒もなき次第にて實際に行はれざるは固より當然なれども既に其實際に行はれざるを承知しながら尚ほ之を廢せずして空文徒法を以て商賣自然の發達を妨ぐるは甚だ解す可らず一日も速く斷然の廢止こそ願はしけれども若しも政府の都合にて速斷の運びに至り兼ぬる事情もあることなれば今の條例は死文として其儘に爲し置き特別の條例を發して生絲相塲所の設立を許可すべし然り而して今我國に於て特別の相塲所を要するものは單に生絲のみに限らず油の如き鹽の如き〓の如き何れも販路の廣きものなれども今日取引の實際は生絲と同樣にして投機の患を免れざれば是等の商品の爲めにも又特別の相塲所を設けて其取引を正當ならしめんことを希望するものなり