「農商務省の本色見えず」
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時事新報に掲載された「農商務省の本色見えず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
農商務省の本色見えず
農商務省は創設以來毎に不幸にして當局者の更迭甚だ忙はしく曾て省是の一定したることなければ其事業兎角思はしからすして殆んど成績の見るべきものなきが如し試に既往の歴史を回顧すれば有名なる十州鹽田の始末なりブールス條例の波瀾なり蠶絲業の取締なり其の他いづれも咄嗟に擧行したる事のみにして農商の利害に親切なるものとてはなく概して之を評すれば寧ろ損害を與へたるの譏を免れざるが故に世間徃徃廢省の説をなす者さへありて從來の實迹にては是も亦敢て劇論にあらず元來我輩が世人と共に農商務省に望む所は夫の勸農と云ひ勸商と云ひて農工商事を勸奬し新利を興さんとするに非ず我國には夙に官尊民卑の陋習ありて動もすれば官威を以て實業界を撹擾し間接直接の損害少なからざれども人民は之に對して護ること能はざるが故に農商務省は恰も其後楯となり實業社會の代表者となりて我が農工商民の爲に既に存する所、また後に來るべき所の各種の妨害を除きその發達を自由ならしむるの一事にありて唯この願あればこそ俄に廢省論にも同意を表せざりし次第なり然るに今度の大臣陸奧氏は曩に永く民間にありて其事情に觸れ農商事業の妨害果して何れの邊に在るやを偵知したる事ある可ければ心竊に望を屬して是れより着着農商務省の本色を見ることならんと待設け居たりしに却てますます失望せんとするの兆あるは返す返すも遺憾に堪へず例へば彼の商法の如き此程國會の議决によりて其實施を延期せられ先づ以て商民を安心せしめたるものの發布前後商界の苦慮は容易ならざりしことにて若しもイヨイヨ實施せられたりしならば其困難は如何ばかりなる可きや商業の利害を思ふ者の默視すること能はざる所なるに其實施の期限は明治二十四年一月一日よりと定められ事態頗ぶる切迫したるあるにも拘はらず農商務省は毫も念頭に關せざるものの如く之に對して抵抗の處置を爲さざるのみか其可否の意見さへも曾て我輩の耳にしたる事なかりしは今に至り回想しても猶ほ怪訝の情に堪へず又近日は國會議員中に地租輕■(にすい+「咸」)論の勢力熾んにして其裏面の意向は知る可らずと雖も兎も角も農民の爲めに計れば一見恩澤を與ふるに似たるは皮相にして後日却て仇となるべきや明白なるに農商務の當局者は未だ其利害の所在を明示して萬一の塲合を豫防するの凖備をなしたりと云ふを聞かず地價修正論に於けるも亦然り其經濟上にも理論上にも實行上にも共に共に可なるを見ずして修正の衝に當れる農民等は早く既に難儀の塲合に陷りつつある折柄修正論者の一方に於ては地租輕■(にすい+「咸」)論に附帶して知りつつ其非を改めざる者の如く議論の前途甚だ覺束なくして實際の結果測る可らざれども農商務省は之を救正せんが爲めに果して何等の手段を講じ得たるや其他日本鐵道會社、郵船會社等の命令書更正の建議に付ても其會社の株主は勿論一般の商界に疑■(りっしんべん+(上が「目」+下が「大」))の念を催ほして爲めに釀す所の不利决して尠少ならず况んや一時無益の殺生は永く政府の信用を傷くるに至らんも知る可らざるにその中間に位して最も周旋の衝に當れる農商務省は恰も局外に傍觀して商界の波瀾を雲煙に付し去り世人の翹望を空ふせんとするが如し又ブールス條例とても唯延期とのみにして何故に早く之を撤回し以て商業を安慰せざるや無きが如く有るが如く人をして中間に彷徨せしむる其結果は生絲相塲所も起らず油も鹽も亦その取引の便路を妨げられて商事人事ともに曖昧の中に澁滯せしむるは抑も農商務省の本色を得たるものなるや之を要するに農商務省は農商事業に對して稍稍親切を欠きたるの觀あるを免れずして積極消極すべて無爲に經過せんとするものには非ざる歟既に農商を勸奬して新利を興さんとするは萬萬不可なり又實業社會の代表者となりて各種の妨害を除き其發達を自由ならしむるの實蹟をも見ずとすれば同省は他に何の必要ありて之を設置せざる可らざるか事ここに至りては我輩も亦彼の廢省論者に同意して以て政費を節■(にすい+「咸」)するの方案に左袒せざるを得ずと雖も斯る重任に當れる農商務大臣は前記の地租輕■(にすい+「咸」)論なり地價修正案なり會社の命令書一件なり將たブールスの始末なり靜に瞑目熟考するときは定めて容易に之に對するの方法手段を得ることならん我輩の一日も早く聞かんと欲する所なり