「流行感冒と醫者」
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時事新報に掲載された「流行感冒と醫者」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
流行感冒と醫者
客冬來猖獗を極めたる府下の流行感冒も過日の雨雪後は俄に頓挫の有樣なりと云へば引續き兩三日來の降雨にては全く其跡を絶つにも至ることならん凡そ此病の流行以來東京府下にて幾多の民生を惱したるや詳細の數は得て知る可らずと雖も醫者の手に嬰りて其帳簿に姓名を留めたる患者の其外に米屋酒屋の賣高著しく■(にすい+「咸」)じ、鐵道馬車人力車の乘客少なく、又髮結湯屋なども一時大に客の■(にすい+「咸」)じたる事相より卜すれば府下の人口百五十萬と稱する中にて病に罹りたるもの凡そ三十萬人に下らざることならんと云へり實に驚く可き數にして斯くも患者の數多ければ不幸中の幸とも云ふ可きは醫者の職業にて例年冬期は割合に病氣の沙汰少なく醫者の最も閑なる時なるに本年は之に反して前記の次第なれば定めて其收入も多きことならんと思ひしに社會の現象は妙なるものにして醫家にては患者の多き割合に收入の多からざるのみならず實際には却て困難の事情も少なからずと云ふ其次第を聞くに一時流行の盛なる折に醫者は非常の繁雜にて日日病家廻りの忙はしきは勿論寒夜深更門を叩かるる等は毎宵の事にして夜の目も眠らざる程の次第なれども扨その實際は如何と云ふに病家が醫者を待するに慢性重病の患者にて家族擧て心配し只管醫者の治療に依頼して他念なき程のものなれば其盡力の效も顯はれ隨て病家の之に酬ることも自から薄からざるは自然の人情なる可し然るに今度の流行病は中には餘病を引起して重症に陷りたるも少なからざる由なれども一般の心にては先づ病を〓ること重からざる其上に一家内にて五人も六人も同時に枕を並ぶるやうの始末にて自然に醫者に依頼する情も專ならざるが故に通常の病に比して自から異なる所なきを得ざる其有樣を喩へて云へば恰も火事に遇ふたると同樣家の混雜は非常にて手傳人の持なしとても冷酒握飯に過ぎざるが如く醫者も其職分として冷酒握飯の饗應に滿足せざるを得ず之は非常の塲合の常として致方なけれども其火事塲の如き混雜は獨り病家のみに非して醫家の自身にも亦其混雜を免れずと云ふは患者の俄に多きが爲め醫家の藥局は非常の多忙にて人手もなければ藥劑も不足し急に雇入れ買入れなどする其混雜の中には或は配劑を誤りて不用と爲るもあり或は帳簿の記入を忘れて全損に歸する等その混雜も亦火事の騷ぎに異ならずして之が爲めに自家に生じたる損害不經濟も甚だ少なからざるよし左れば今度の流行病は醫家病家共に混雜を免れずして共に所損の少なからざるものなれども此際特に醫家の不仕合とも云ふ可きは昨今流行病の熄みたると同時に他の患者も非常に■(にすい+「咸」)少したる一事にして之には自然の働として流行病の行はれたる後には一般の人氣一新して心身自から健康を催ほし隨て他の病も一事蟄伏するの事相もあることならんと雖も實際には流行病にて人間の體力疲れたると共に其嚢中も薄弱と爲り大抵の病には醫藥を煩すこと能はざるに至りしと又一には身代相應の家にても度び度び醫者を迎ふるは餘り目出度き事にもあらずとて自然に差控ゆる氣味あるより斯くは醫者社會の不景氣を催ほしたるものならんと云へり左れば今年の流行病は民生一般の不幸なる其代りに醫者の爲めには豊年なる可しとの推量は實際に然らずして其結果の案外なるを見る可し盖し社會の現象の徃徃人意外に出づることは凡そ斯の如きものならんのみ茲に聊か事實の一斑を記して世人の參考に供するものなり