「半夜殘夢を悔ゆ」
このページについて
時事新報に掲載された「半夜殘夢を悔ゆ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
半夜殘夢を悔ゆ
國會の議事は開會以來日に増し喧喧擾擾として動もすれば政府に對するに圓滑を欠き向後議事の模樣によりては歴史に如何なる痕跡を留めんも知る可らずして政府の當局者に於ても苦心容易ならざるものあるが如し如何なれば國會は斯までに紛雜を極めて初期早早目出たからざる事相を呈するものなるや之を議員及び黨派の事情に照し又議會と政府との行懸り等に照して其次第を細細分析するときは夫れ夫れ相應の理由ありて人情の然らしむる所、形勢の止むを得ざる所ならんと雖も此等は都て局部の觀察にして大體より之を評すれば國會の議員中老練家に乏しきが故なりと云はざるを得ず例へば目下の問題たる豫算査定案の如きも今の政費の因縁由來を洞察し急に巨額の節■(にすい+「咸」)を加ふ可らずと寛假して今年は二三歩に止め明年は又二三歩に進め氣永に徐行を試むる猶ほ其上に一一費目を査定するの却て不得策なるを知らば政費の配合は政府の取計ひに一任して國會は唯その大體の歩合を評决するこそ穩當にして西洋立憲國にも亦その例なきに非ざることなるに功を一擧に期して毫も讓らず自ら計るに切にして政府の之に應ぜざるを思はざるが如し醫道に喩へて申せば慢性病に頓挫法を行はんとするものにして庸醫の譏を免れず兵法に喩へて申せば我れを知りて彼を知らざるものにして猪武者の嘲りを辭し難し左ればとて國會が其勢力を振ふて政府を侵し敢て代らんとの主意なるかと云ふに全く左樣の譯にも非ずして心中却て爲めに意外の邊より意外の更迭を釀すを■(りっしんべん+(上が「目」+下が「大」))るるもあらん或は更迭の事に關心せざるもあらん或は解散の公私に不利なるを氣遣ふもあらん大體の結局は决して悉く有望の成算あるに非ざるや明白なるに猶ほ前日の思想を脱せずして政府に抗するに侵すが如く侵さざるが如く而して無益に雙方の事情を不味ならしめ益益平穩の望なきに至らしめたり之を如何んぞ老練と視做す可んや左れば我輩は彼の豫算査定案も討議日を重ねて其間幾回か議塲に勝を制し今や殆んど回收す可らざる有樣なるにも拘はらず飽まで議員諸氏の靜思熟考あらんことを希望すると共に心窃に如何なれば斯くまで國會に老練家の乏しきやを憾むの情なき能はず日本國中に此等議員の外また老練家なきやと云ふに必ずしも然らず明治政府に身を立てて功勞もあり經驗もあり國會の議員殊に初期國會の議員としては更に優等の人物なきに非ざるべしと雖も其人人は是より先き維新の元勳などと稱せられ伯子男等の人爵を拜して華族と云へる別天地に轉籍せしかば撰まれて人民の代議士となること能はず看す看す無經驗にして着實ならざる政治家の議員に當撰することとなりしより議事は果して靜穩を失ひ國會は其榮譽を高くせずして政府は其應接に苦しむに至れり蓋し其近因は國會に老練家乏しきに在り而して其遠因は政府が封建の殘夢を夢み立憲政治の主義に反して古風の人爵を新たにしたるが故にあらずや始め爵號の沙汰によりて板垣退助氏の之を辭せんとするに當てや世間に種種の評談ありて斯も追ひ追ひ華族に轉ずるの有樣にては遂に衆議院に人を失ふの悔あるべしなど申せしが今や果して其世評に違はずして着實の議論は之を彌縫策と稱し輕擧を以て國會の本色なりとするの現象を見るに至りしこそ返す返すも遺憾なれ想ひ見る當局者が今後の處置に苦しみ内には朝野の安寧和熟を謀り外には列國に對するの榮譽尊信を希ひて憂心■(りっしんべん+「中」)■(りっしんべん+「中」)一睡猶ほ穩かなる能はざるの情は實に今日より切なるは勿るべくして半夜夢醒むるの後、彼を思ひ此を想ひ近因より延いて遠因に及ぶときは恍乎として夫の封建の殘夢を悔ゆる所あるべし
果して右の想像に違ふことなくんば當局者は空しく大に其心事を改め此回の國會に對しては結局多少の不體裁あるべきも其讓るべきは勉めて之を讓り成るべく平穩ならしむるの方針を取りて而して徐ろに政治の大主義を一新し殘夢を攪破して民間に眞正の友を求め永遠に良政の基礎を定めざる可らず要するに我輩は今の國會の議事及び政府が之に對するの處置としては彌縫策の稱を甘んじて飽までも着實穩當ならんことを欲し政略の大主義に付ては决して一時姑息の小計を許さざる者なり