「商安を如何せん」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「商安を如何せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商安を如何せん(昨日の續)

我輩は炭鑛鐵道會社保護金廢止の議決を以て議會が商安を蔑視するものとなし大に其非を論じたれども更に顧みて其論旨の所在を推測すれば議會の本意は單に今の會社又株主等を責むる者に非ず實は其賣渡の始末に不審を抱きて之を咎むるの餘り所謂坊主を惡みて袈裟に及びたるものゝ如し果して然らば其議決の不當なるは勿論なれども其意の所在に至りては我輩も議會と感を同ふして政府の處置に不審を抱くものなり聞く所に據れば會社創立の際に政府より買受たるものは幌内炭鑛十萬四千三百六十八圓、同鐵道二十四萬七千九百五十圓にて合計三十五萬二千三百十八圓の代價なりと云ふ然るに賣渡の前、政府にて消費したる炭山の起業費は三十八萬三千六百圓餘鐵道起業費は百九十萬七千八百圓餘なりと云へば合計の大數二百三十萬圓の品を三十五萬圓にて賣渡したることにして尋常一樣商賣世界の取引とは思はれず或ひは云ふ會社にて買受けたる後は鐵道の修繕費其他に七十萬圓を要し又炭山の方も採掘の用意に二十萬圓を要する見込にて前年度の損益計算書に基き前記の代價を見積りて賣渡したるものゝ由なれども昨日の紙上にも述べたる如く買方にて之を引受けたる後は一年間の營業に三割九分の純益ありと云へば其前年度の損益計算書を稱するものも精密ならずして賣渡の際に多少の粗漏不取調ありしことならんとは何人の心にも少しく疑なきを得ず即ち議會の不審を抱く所以にして我輩も感を同ふする所なれども是れは全く政府の事に關するものにして會社の知る所に非ず凡そ物の賣買に賣るものは成る可く高きを望むことなれども買ふものは少しにても安きを願ふは世間商賣の常にして毫も怪しむ可らず喩へば幾百圓幾千圓の價ある正宗の銘刀、金の茶釜を二三圓にて買受けたるものありとせんに賣手の所存は知る可らずと雖も買手は寧ろ買ふに巧なるの名譽を得べき者にして代價の不相當を以て之を咎む可らざるが如し然るに今政府が會社の發起人等に賣渡したる代價の當不當は不問に附し之を以て會社を罪し併せて今の新株主までを苦しむるとは其目的を誤りたる者と云はざるを得ず左れば議會の本意にして果して賣渡の始末に不審を抱き政府の處置を責むるものあらんには政府に破約の事を勸めて過を重ねしむることもせず又何事をも知らぬ會社の株主を苦しめて社會の商安を妨害するの愚をも爲さず直に進んで其目的ある事の當局者に就き其始末を詰問すること正當の手段なる可し而して其賣渡の始末に果して不審の廉もあらんか之を彈劾するは法の許さゞる所ならんなれども精密嚴重に詰問して當局者の辨解に窮するまでに至り其窮したる次第を公然表白して世上に明にするに於ては政府にてもコ義上何か之に應ずるの處分なきを得ず假令へ直に此一事に就て快活に處分するの實意勇氣なしとするも其心窃に既往の非を悟りて過を再びすることはなかる可し即ち隱然たる國會の實力にして其能事既に大なりと云はざるを得ず顧ふに目下我國の大利害は商況不景氣の沙汰にして全國上下の等しく苦しむ所なれども議会の議論は曾て一言の之に及びたるものあるを聞かず若しも英國などにて斯る不景氣の沙汰もあらんか國會の問題は何は扨置き其救濟の手段にして必ず目覺ましき議決もあることならんに然るに我國の議會は政治論の喧しきに似ず商賣の事には毫も注意せざるのみならず其政治論も多くは極端より極端に傾き定論の見る可きものなくして其決議の往々案外のものあるは現に豫算案の成行を見ても一班を知るに足る可し而して時として會社保護の事などを議すれば原因事情は究めずして其行掛りの罪を一切現在の會社株主に歸し政府の約束を破らしめ財産の安全を害するを顧みざるは其本心全く商賣社會の利害を外にするものと云はざるを得ず我輩は議会の議決を目するに財權を蔑視し商安を妨害するものとして辨解の辭なかる可しと信ずるものなり (畢)