「内閣一致」
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時事新報に掲載された「内閣一致」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
内閣一致
立憲代議政治國の人望即ち洋語にポピユラリチーの意義を發明したらば政事の當局者たる
者は夫の覇政の骨子たる恩威並行主義を學ばんとせずして宜しく愛嬌主義に一轉すべしと
は前號に述べたる所なれども遺傳の力は恐るべきものにて我國人が千百年來世々相傳へて
政治上の人望と云へば忽ち恩威並行等のことを想起し恰も一種尊靈を見るの心地するは其
常にして父老も之を教え書籍も之を教え日々刻々の政道も亦これを示して自から習性をな
せしことなれば近年俄に立憲政體に變じたればとて皮相は兎も角も其心事を改めしむるは
頗ぶる難し我輩が口を極めて西洋のポピユラリチーとは日本の所謂人望にあらず贔屓と譯
して心得べしと忠告するも全國中まだ一人の之を體服して誠意誠心これを現行に果す者あ
るべしとは思はれず時節の到來する迄は先づ以て止むを得ざることと諦め去るの外なから
んのみ然るに顧みて今の政府の人望は如何と云ふに實は甚だ淋しき者にして藩閥に縁ある
者は大政府と崇むるもあらん官吏の仲間入を僥倖せんとする者は頻に親交を裝ふもあらん
奇利を營まんとする小輩は殊更に媚を献するもあらんと雖も民間に於て輿論の中心ともな
るべき識者にして眞に政府の政策方針を賛け友情を以て其基礎を鞏固ならしめんと欲する
者は世間廣しといふも果して幾人ありや否な啻に識者のみならず一般の人民とても亦决し
て政府に甘服したるの證あるを見ず試に看よ此回の國會の景况は隨分驚くべきものにして
其事情を聞けば聞くほど窃に頼母しからざるを憾むにも拘はらず今政府と國會と孰れが人
望ありやとて普ねく投票を募集したらば尚ほ國會に多數を制せんこと蓋し疑ある可らず是
れ决して政府を惡さまに云ふにあらず當局者にても私席に讌居して細かに其心情を敲くと
きは時々に漏す所の歎息にして全體に評すれば社會の上流下流を問はず政府に好意を寄す
る者に乏しくして之を人相に喩へんに影の甚だ薄きものと云ふべし政府に人望なきこと此
の如くなるは必竟友を得るの法を講せざるに坐すと雖も左ればとて我輩が勸告せる愛嬌主
義は遺傳の性に戻りて氣の毒ながら直に斷行すること能はずと云ふ然らば即ち如何にして
現政府を維持す可きや唯次第次第に動搖して其根底の崩るゝに一任するの外なきかとてツ
ラツラ之を診察するに未だ决して命脈を繼ぐの望なきものにあらざるが如し
戰國の歴史を繙いて籠城の始末を案するに凡そ城主の動きは敵軍の勢、強きに在らずして
味方の心、和せざるにあり長篠の役武田の大軍を以て眇爾たる奥平九八郎を圍む衆寡強弱
固より當る可らずと雖城兵固く守りて之を却け遂に武田氏滅亡の端を啓きたるが如きは全
く味方和合の致す所にして若しも當時城兵の一名にても敵に内應する者あらんには孤城何
を以て能く支へんや奥平の人數は嚢中の鼠に等しきのみ之に反し大坂城の如きは海内無雙
の名城にして軍勢も亦關東を挫くに餘りありしが味方の心一致せずして徒に勝敗を觀望せ
んとしたるより德川の勢に逡巡して外濠を埋むるなど動搖に次ぐに動搖を以てして果敢な
くも天下を失ひたるに非ずや其他小田原の豊臣氏に於ける近くは熊本の薩郡に於ける一に
城兵の和不和に依るものにして和せざれば大城も陥り和すれば小城も亦守るに足るは古今
に通じて爭ふ可らず政治社會の事も亦これと同樣にして假令へ今の政府に人望なければと
て内閣互に一致して其决心を共にするときは如何に民間に於て攻撃を試むる者ありとする
も彼は武田の勢に非ずして是も亦長篠の小城兵にあらず維持の成算充分なるのみか斯て漸
次その政務の筆法を改め眞の政友を求むるの方針を定むるときは織田德川の加勢も敢て恃
み難きに非ざるべし然るに其計ここに出でずして到底一致すること能はざらん歟法律制令
ありと雖も軍兵警察ありと雖も將た何の用をかなさん政府が焦眉の急は蕭墻内の一致和合
を圖るにありと知る可し