「利息引上策は如何」
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本文
利息引上策は如何
世間の不景氣は既に久しき沙汰なれども毫も回復の望みなく年々ますます不味を加ふるの
みにして底止する所を知らざるものゝ如し或は其原因を會社流行の結果に歸し或は流通貨
幣の不足に歸して回復の手段を論ずるものも少なからざれども我輩の所見を以てするに其
近因の事情は兎も角も今日の有樣を致したる其本源に溯りて論ずれどば之を政府財政當局
者の處置に歸せざるを得ず抑も世間の不景氣と稱して金の融通に苦情を訴ふるは人身の病
に異ならずして其容體にも種々あることならんと雖も我輩の診察にては今日の病は純粹の
貧血症にも非ず又多血に苦しむものにも非ず唯脈管の局部に變を生じ血脈の循環常を失し
て一部に血の乏しきを訴ふる代りに他部に於ては却て充血の患を見るものなりと云はざる
を得ず其兆候を如何にと云ふに社會の一方に商賣人は頻りに金融逼迫を訴へて金の貸手な
きに苦しめども他の一方に於ては却て金融の緩慢を唱へ可惜、資本を倉底に積み僅に政府
の公債證書に依頼して手を空するは正に今日の有樣にして即ち其病は血の多少に非ずして
其循環の常を失するものなり左れば其間には何か融通を妨ぐる障碍物なきを得ずして我輩
の所見に於ては之を今の金利の割合に歸するものなり抑も我國の金利は德川の治世以來一
割以上一割五六分の間を徃來して平均一割の下に出でざりしものが近年に至り經濟社會一
般の事情は格別の變化なきに金利のみ遽に下落して五分と爲りたるは非常の激變にして畢
竟人爲の變化に外ならず即ち今日の病根は實に此變化に在るものなれども扨その變化を致
したるは財政當局者の政策に外ならずして人爲の最も甚しきものなるを知る可し明治十五
年來政府が紙幣回収策に鋭意して急激の處置を施し一方に日本銀行を設けて金融の權を一
手に握り無理に一般の金利を低下せしめたる其結果は如何にと云ふに政府にては公債を整
理すると稱し從來の公債證書を五分に整理して人爲を以て證書の價格を維持し之を政府の
信用、公債の騰貴を致したる者と稱し其體面甚だ佳なるが如くなれども世間の金融は遽に
金利の低下したるが爲めに忽ち一種の變態を現し頓に會社熱の流行を催ほし新設の事業は
雨後の筍の如く國中到る處に蔟々勃興したれども元來事業の起るは自から時機のあること
にして事物自然の順序を經ざる可らざるに一時の變に欺かれて遽に成育したる者は恰も室
の暖氣に時ならぬ花を開きたると同樣、一旦外の空氣に觸るれば忽ち凋まざるを得ず幾ば
くもなく會社瓦解の勢を呈して非常の慘状を極めたるは固より怪しむに足る可らず是に於
てか世間の金滿家は其覆轍に鑑みて更に戒心を催ほし益々金庫の締りを嚴にして容易に出
すこと肯んぜず不本意ながらも公債證書の低利に安んじて唯、成を守るの有樣と爲り世間
に金融の澁滯を致したるは正に昨今の情態にして即ち不景氣の病根なるが如し左れば其病
根を除くには經濟上に人爲の制限を解き日本の金利をして自然の割合に歸せしむること肝
要にして我輩は之を外にして他に良策なかる可しと信ずるものなり近來日本銀行にては回
収策と唱へ頻りに流通紙幣の回収に從事するよし回収策が今日の事情に於て適當なるや否
やは知らざれども我輩の同行に望む所は此に非ずして彼に在り即ち公債證書の價格を維持
するを目的として其利息を低度に置くの方向を改め大に之を引上げて金利自然の割合に歸
せしむるに在り我輩は同行が利息の引上げを斷行すれば必ず云々の結果ある可しと斷言す
るものに非ざれども之を行ふて其結果もしも妙ならざるときは更に改めて元に復するも可
なり兎に角に同行が之を斷行して實際の結果如何を試めさんことを希望するものなり日本
銀行が其利息を引上ぐるときは左なきだに世間の金利は今の低度に安んぜずして頻りに高
きを望む折柄、一般の割合は之に連れて自然の程度に昇り公債證書の如きは忽ち下落して
六十圓臺と爲れば茲(玄+玄)に脈管の澁滯を通じ血腋の循環常に復して世間に金融活溌
の勢を催ほすに至るや疑ふ可らず或は斯くの如くして金利の割合騰貴すれば今の工業諸會
社の如きは爲めに非常の困難を感ずるに至る可しと云ふものあれども是れは自から別問題
なれば更に論述することなし我輩は今日の現状に於て兎に角に日本銀行が利息の割合を引
上げ其結果の如何を實際に試驗せんことを希望するものなり