「露國皇太子の來遊」
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時事新報に掲載された「露國皇太子の來遊」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
露國皇太子の來遊
露國皇太子は皇族二名及び隨行員の人々と共に海外漫遊の途次來る五月頃我國にも來遊あ
るに付き我帝室にては十分の待遇を盡さるゝ由にて既に夫々の用意中なりと云ふ或は今回
の來遊に就ては何か政略上の意味もあるやに言ふものなきに非ざれども西洋諸國の例とし
て皇族の來游に當り特に帝室にて接待あるは通常の事にして怪しむに足らず即ち文明國交
の禮にして歐洲の如く互に國境を接して交通の便なる國々に於ては皇族の徃來など頻々の
事にして客の方にては成る可く繁禮を省て自他の迷惑を避けんとすれども主人たる國々の
朝廷に於ては友誼國の榮譽を代表する皇族に對し成る可く好意を盡さんとして待遇の鄭重
を旨とするの風にして既に先年有栖川宮の露國に赴かれたる折なども表面は微行の筈なり
しも同國の帝室にては早くも接待の用意を整へ皇居を以て宮の旅館に宛つるなど懇待一方
ならざりしと云ふ左れば今回露國皇太子の來游に際し帝室にて接待の事あるは固より怪し
むに足らずして凡そ國際の友誼は國の大小地の遠近に由りて相違ある可きに非ず今後支那
朝鮮もしくは歐洲諸國の皇族にして來游の事もあらんには帝室の待遇は必ず今回に異なら
ざる可きを信ずるなり然り而して我輩は特に我國人に所望する所のものあるは外ならず今
回の來游に就き帝室に於て鄭重の待遇あるは勿論の事なれども顧ふに露國は我近隣の大國
にして彼我貿易上の關係も少なからず今後彼のサイベリヤ鐵道の工事落成するにも至らば
其關係は益々親密と爲り僅々數十里を隔つる北海の邊に我産物輸出の一大市塲を見るに至
るや疑ふ可らず而して今回來游の皇太子は他年一日露國皇帝の位に即かる可き貴賓なれば
其來游を幸に一國の榮譽を代表する其貴賓に對し十分の好意を表して上下の歡心を得るの
注意は我國人の當に務む可き處にして政略云々などは今日に談ず可きことに非ず我輩は皇
太子の來游に際し帝室に於ても鄭重の厚遇ある其上に我一般の國人たるものも十分の好意
を以て國寶を待するに怠らざることを信ずるなり