「貴賓の接待に就き東京市會に望む」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「貴賓の接待に就き東京市會に望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

貴賓の接待に就き東京市會に望む

今度露國皇太子の來遊に付き我帝室に於ては極めて鄭重の待遇ある筈にて目下夫れ夫れ準

備中のよし國交の禮法に於て左もある可きことなれども抑も露國は我最近の友邦にして商

賣貿易の關係も少なからざる其上に今回來遊の皇太子は他年一日露國に君臨せらる可き貴

賓にして取も直さず同國全體の榮譽を代表せらるゝものなれば獨り帝室の賓として見る可

きに非ず即ち日本の國賓にして其國賓たる皇太子に對して十分の好意を表するは我國民た

るものゝ當に務む可き所なり左れば愈よ來遊の上は其筋に於て國交上の待接ある其外に國

中の人民は到る處貴賓の一行を〓(かん・疑の左+欠)迎して友邦に對し好意を致すの機

會を空ふせざるは我輩の信じて疑はざる所なれども我輩は此際に當り特に東京市會の人々

に向て所望せんとするものあるは外ならず西洋諸國に於ては外國貴賓の來遊あるに際し其

首府は申すまでもなく國中の重立たる都府に於ては何れも其府民の催しにて或は夜會を開

き或は劇塲に招待するなど通常の例にして文明國の美風なるが如し既に我國にても前年米

國の前大統領グランド將軍來遊の折、東京の府民は非常の熱心を以て之を迎へ府民全體の

名義を以て上野公園に大會を開き又は新富座に演劇歌舞を催ほす等、米國の貴賓を待する

に國賓の禮を以てし十分の好意を致したるは世人の今に記臆して稱賛する所なり蓋し外賓

を迎へて常に〓(かん・疑の左+欠)待を怠らざるは從來我國民の美德にして西洋文明諸

國の風にも恥ぢざる所なれども前にも述べたる如く今回來遊の露國皇太子は最近友誼國の

榮譽を代表せらるゝ無二の貴賓にして東京の市民は輦轂の下に親しく貴賓に接するの機會

もあり又その接待の趣向塲所等にも自から便利の地位に居るものなれば全國の民意を代表

して進んで其事に當るこそ市民の本分なる可し聞く所に據れば來遊の期は來る五月の初頃

なりと云へば恰も仲春の好時節にして天然の風物自から人を迎ふる其上に府下百萬の市民

が全國の民意を代表し熱心の〓(かん・疑の左+欠)待を〓すに於ては必ずや貴賓の情を

滿足して十分のものある可し其趣向の如きは敢て茲(玄+玄)に述ぶることを要せざれど

も例へば府下相應の塲所に大會を催ほして貴賓の一行を招待し或は歌舞伎座新富座の演劇

を寛に供するなども亦一趣向にして宮城内に於ける饗莚觀兵式等の盛儀に比すれば表裏公

私自から趣を異にして賓客の情を慰むる所も亦自から別ならざるを得ず從來外國の来賓を

饗するに或は彼の藝妓を招き技を演ぜしめて興を助くることなどもある由なれども今の所

謂藝妓なる者の中には賣娼と同樣不潔なる種族多くして苟も公けの席に待せしむ可きに非

ざれば况して貴賓の待遇にも此種の不潔者を以てするは非禮の甚しきものとして之を戒し

むること勿論なる可し其趣向は兎も角もとして扨府下の市民の人々に貴賓接待の心掛ある

は勿論の事なれども此種の事は銘々個々の思立のみにて能くす可きに非ざれば市民の代表

たる市會に於て取敢へず此事を恊議し委員を撰みて準備に取掛ること肝要なる可し京都な

り大坂なり貴賓來遊の地に於ては何れも夫れ夫れの用意あることならんなれども其地方の

人々とても自から東京市民の擧動を見て之に傚ふの意味もなきに非ざれば東京市會に於て

は此好機を空ふせず一日も早く恊議して其用意に怠らざらんこと我輩の希望に堪へざる所

なり