「依然たる鎖國攘夷の精神」
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時事新報に掲載された「依然たる鎖國攘夷の精神」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
依然たる鎖國攘夷の精神
日本開國以來既に三十年文明開化を唱へて頻りに西洋の文物を輸入し一も西洋二も西洋と
政府の政體を始めとし社會の風俗慣習に至るまで一切彼に模倣して次第に今日の外觀を致
したる次第なれども扨顧みて實際の成蹟を見れば文明開化は唯事物の外觀を西洋にしたる
のみにて其精神に至りては毫も改むる所なく依然鎖國の舊習に安んずるの實あるは我輩の
遺憾に堪へざる所なり抑も文明開化とは單に形體の事のみならず既に國〓〓〓〓〓〓清國
と交通し商賣の事なり軍國の事なり文明の〓〓〓入りて落語の不覺を免れんとするには
人々の心に十分の覺悟こそ肝要にして唯一國の内に蟄〓した獨り自ら〓る可きに非ず徃昔
鎖國の時代に在りては神州の神〓四面繞らすに海を以てし若しも猾奴の〓を〓ふものあら
ば神風一怒忽ち其船を覆す可しとて〓〓〓から〓らずれば如何にも安心の極にして鎖國攘
夷〓〓人は〓るも之を笑ふものもなく又咎むるものもなく壺中の乾坤、仙夢正に濃にして
獨り自から得々たりしことなれども今の文明交通の世界は商賣に軍事に實力の競爭にして
壺中の仙境に眠を貪り夢に〓るの時あらず我國人は果して鎖國攘夷の夢を醒まして其邊の
覺悟に思ひ到りしや否や二十年來文明の外形は次第に〓を改めて見る可きもの少なからず
と雖も人の精神に至りては徃々鎖國以前の舊に安んじて改進々歩の兆な〓〓我輩が社會の
事實に徴して竊に疑ふ所なり明治以來〓〓〓〓と稱して國中に洋書を讀み洋語を解するも
〓〓〓〓らずと雖も多くは後進の壯年輩にして今日現〓〓〓〓〓に當り〓又〓〓の事に奔
走する輩と雖も其開〓〓〓に〓を〓けたる人々に至りては敎育も自から古〓〓〓〓〓〓〓
〓〓も亦自から古ならざるを得ず故に〓〓〓〓〓〓〓れ〓にして百〓の文明制度その外面
は悉〓〓〓〓〓〓〓〓〓れども精神は往々外に添はずして時〓〓〓〓〓〓〓するは固より
〓しむ可らず即ち其精神〓〓〓〓〓〓〓〓鎖國時代の日本を夢みるものなれば〓〓〓〓政
〓〓〓人爲の〓〓を生じ爵位官等復古の色〓〓が如き〓〓の事は〓く〓き東洋未曾有と稱
する憲〓〓〓〓〓〓〓〓〓は兎も角も施行運轉の實際を見る〓〓〓の〓〓〓〓ひ〓〓の〓
〓と云ひ徃々自己の筆法を逞ふし手本の眞を失ふの憾なきに非ずして海外諸國の面前に對
し國の爲めに體面を思ふの心掛は甚だ淡泊なるが如し又一般の人心に於ても内に向ては頗
る勇氣あるに似ず外に對すれば兎角小膽にして小兒の臆面するが如く又婦人の物嫌ひに類
する擧動なきに非ず先年の條約改正談に世人が内地雜居を云々したるが如き最も著しき例
なれども總て外に關する事柄とあれば稍もすれば危惧の念を抱くは我國人の常態にして例
へば某國の皇子來遊の沙汰あれば忽ち之に附會して種々の説を傳ふるが如き一個人が無恥
の私書を某公使に贈りたりと聞けば事の眞僞を究めずして漫に之を喋々するが如き其心事
は兎も角も外國との關係と云へば常に猜忌の眼を以て之を見る其精神未だ鎖國攘夷の餘臭
を脱せざるものにして共に文明の事を談ず可らず抑も今の文明の立國は多事多端にして一
日も油斷す可きに非ずと雖も其多事多端は世界の大勢にして其大勢に當り之に屈せずして
却て之に乘ずるの用意こそ肝要なる可し即ち國を開て内には外國の人を容れ又その資本を
入るゝと同時に外には大に航海の業を盛にし海外の殖民移住を謀る等その事は一にして足
らざれども是等の事業は大膽活溌文明の敎育を受る文明の精神を有するに非らざれば其效
を見ること難かる可し我輩は思ふて國の大計に到る毎に我國人中に今日尚ほ鎖國攘夷の舊
夢醒めずして動もすれば一局面の小事に喋々して事の大體に通ぜざるもの多きを悲しみ社
會文明の士人と共に之を警醒せんことを自から期するものなり