「北海道の自治」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「北海道の自治」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海道の自治

近時政論社會中には北海道に地方議會を開き自治制を行ふ可しとの説を爲すものあるよし

なれども我輩は此説に反對するものなり抑も北海道は我國の殖民地にして萬般の施設内地

と同一視す可らざるは勿論なる中にも殊に自治制度の施行に至りては寧ろ同道の繁榮發達

を妨ぐるものなりと云はざるを得ず盖し我國封建時代の地方制度は純然たる自治の仕組に

して其由來の久しきものを維新革命の一擧悉く年來の習慣を打破りて痕跡を留めず名實共

に變更するに至りしが近年來地方自治の談、再興し西洋風の主義に由り尚從來の習慣をも

參酌し更に自治の制度を定て之を實行したれども恰も和洋折衷とも云ふ可きものにして文

面上は頗る完全なるが如くにして扨實際には兎角長し短しの憾なきに非ず左れば今日の自

治制度は内地に於ても正に試驗の最中にて其利害も未だ判然たらざるものなるに之を殖民

地なる北海道に行はんとするは輕卒の極にして實際の談に非ざるなり思ふに自治制度の精

神は私權私有の安全鞏固を謀るに外ならずして土地の人民自から發起す可き筈のものなれ

ども北海道今日の有樣を見るに純然たる殖民地にして土着永住の人民とては尚ほ甚だ少な

く現に漁獵商賣其他の業に從事するものは内地の商人もしくは資本家にして同道の事業は

過半その手に在りと云ふも可なり而して是等の人々は殖民地出稼の常として目下正に其業

に忙しく漁獵なり商賣なり眼中唯その營業を見るのみにして其他を顧みるに遑あらざるこ

となれば况して地方の自治など營業以外の事を喋々して徒らに日を費すの餘暇ある可らず

左れば若しも今日に當り自治の制度を此地に行ふに至らば實際に私權私有の權利ある前記

の人々は毫も其の澤を蒙らざるは無論、斯る繁忙多事の地に居て議會などに出席し權利義

務の空論を喋々するものは何れ内地より漂泊する浮浪徒手の輩に過ぎざる可きが故に其所

論は必ず無責任にして寧ろ實業家の私權私有を害するのみならず事の結果は遂に目下の急

務なる北海道開拓の事業を遲々たらしむるにも至る可し我輩の斷して取らざる所なり抑も

新開の殖民地に對する方略は人民に商賣移住の便利を與へて自然の發達を期するに外なら

ず北海道は古來日本の版圖にして殊に其距離も遠からざれども我國人は久しく之を抛擲し

て顧みず維新以來政府の開拓事業も實際の成蹟は大に見る可きものもなし而して内地の人

民が自から此地に注意し商賣に漁業に其事に着手したるは實に近年の事にして百事草創の

有樣なれば其實は海外遠隔の新殖民地とも云ふ可き程の樣なれば之に對するの策は唯諸種

の便利を與へ自然の發達に任ずること第一にして即ち殖民地自治の實も却て此邊にこそ存

することなれ然るに内地に於てさへ未だ利害の分明ならざる人爲の自治制度を強て此地に

行はんとするは寧ろ自治の實を誤るものと云はざるを得ず我輩の反對する所なり而して自

治制度の施行既に不可なりとすれば〓に政府の干渉に一任す可きやと云ふに我輩は此事に

就ても亦大に反對せざるを得ず如何となれば北海道の新殖民地に自然の發達を見んとする

には自治の制度なり政府の干渉なり其發達を妨ぐるに二樣ある可らざればなり左れば我輩

の望む所は自治の制度も政府の干渉も兩ながら之を見合せて自然の發達に任じ唯人民の商

賣移住を奬勵する爲めに例へば鐵道の敷設定期の航海の如きものをば政府にて十分に之を

保護し以て其發達を助くりに在るのみ斯くて北海道の發達は其自然に任じ政治を以て之を

妨げざると同時に傍より鐵道航海等各種の便利を與へて其移住を奬勵するときは内地の人

民は勸めざるも自から徃き同地の商賣事業は日に繁昌して全道開拓の業も次第に其結果を

収め移住民も漸く土着の姿を成して自から私權私有の安全鞏固を謀るの暇あるに至らば其

時こそ即ち自治の制度の自然に行はる可き機會にして若しも處置方略を誤らざるに於ては

其機會到來の期も决して遠からざる可しと我輩の敢て信ずる所なり