「尚商時代」
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時事新報に掲載された「尚商時代」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
尚商時代
日本は古來農を以て國を立て國家生存の資力は一に之を農に収めたるのみならず封建戰國
の習として兵粮の準備は最も必要なりしが故に政道の筆法は農を尚ぶこと决して等閑なら
ず例へば田地を潰して家屋を建設し又は森林となすが如きことあれば其制裁は頗ぶる嚴重
なりしに引換へ荒地を拓き荊棘を耘りて米田となすに於ては假令へ公けの認可を得ずと雖
も之を寛大に看過して唯農民の營利に任せ地目變換を云々し鍬下年限を規律するが如き其
大法を設るのみにして曾て面倒なることなく恰も人民の自由に任せて暗に奬勵誘掖するは
各藩寧ね然らざるはなし左れば之を保庇するの法も自ら偏重にして地方によりては特別の
權利を與へて愛護するもの珍しからず當時田畑の近傍に柱を立て制札を掲げたる其文に
「作物あらし候者は此柱に縛り付置可訴出若し手むかひ致し候はゞ打殺候ても不苦候」と
云へる如き往々見る所にして農安を重んずるの精神想ひ見るべし政道にして此の如くなれ
ば與論も亦自ら農を尚び儒者の敎にも農は本なり商は末なり本を務めて末に走ること勿れ
抔と云ふは動かす可らざるの定則にして殊に武士も浪人となりては身を農に投する者少な
からざるより其人を貴ぶと共に其業を貴び社會一般尚農の主義なりしかば文字にも士農工
商と綴りて農は士に次て重きを成し他の商工業者の同列すべきに非ざりしなり必竟鎖國の
上に武斷の世の中なりしことなれば時勢相應の必要に出でたるものにして實に左もこそあ
る可きなれども今や國情は封鎖にあらず政道は武斷にあらず萬國と交通貿易して富強を爭
ふの時勢なれば國務自から多端にして其繁劇に處して永遠萬歳の基礎を定めんと欲するに
は一々金を要すことのみにして政府の費用は决して今日の儘にして止む可らず八千萬圓の
歳入を以て之を諸外國の財政に比較するときは實に赤面の至りのみか斯る少額を以て列國
の競爭塲裡に馳聘し人後に落ちざらんと欲するは抑も至難の事にして國民たる者は宜しく
衣を脱いで租税の負擔を甘んぜざる可らざる所なれども農民に向て今より以上の税額は之
を求めて得可らず否寧ろ地租率を低減せんとするの議論さへ世間に行はれて有力なれば自
今立國の計は唯商を顧るの外なくして歳入の泉源は唯商利の供給を俟つべきのみ即ち政府
が從來商農主義の政道を一轉して尚商に改むるの止む可らざる所以なれども此事たるや獨
り政道の掛引のみに非ず經濟の學理より觀察しても農事と云ひ工業と云ひ將來猶ほ多少の
改良進歩あるべきにもせよ國運の命脈を托するに足らざるは勿論にして且又古來尚農主義
の因縁により國内耕地の割合に農民の數多きに過ぎ其勞働に報酬の薄きは多年の事實なれ
ば今若し商賣の道を開通して之を振起するの曉に至らば恰も轉業の便宜を與ふるものにし
て一は以て農民の過多なるを減じ一は以て其産出の販路を便にし一擧して兩樣の効益を見
るべし何れの點よりするも商賣の發達伸張は日本國の國是と定め以て列國と競爭を共にす
べきものにして政道も與論も茲(玄+玄)に一新せざる可らず其これを成すの實手段に付
ては聊か鄙見なきに非ざれども先づ第一に商賣社會の品位を高くするこそ急要なれば曾て
封建の世に浪人の武士が農業に就き人によりて業を重くしたるの事例を擴張して今の政界
に推尊せらるゝ人々の如き續々心事を飜へして商賣に從事する等は蓋し最も有効の一策な
るべし其他政府が商安を保護すること猶ほ在昔農安を保護したる精神に從ひ恰も商賣に偏
重して着々發達の歩を進め爰に新に尚商時代の面目を開かんこと國家生存の爲め我輩の切
に冀望する所なり