「地方官の更迭に就き望む所あり」
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本文
地方官の更迭に就き望む所あり
政府にては今回地方官の更迭を行ひ既に十數名の移動あり今後引續きて沙汰するやも知る
可らずと雖も我輩は此際政府が一大更迭を斷行せんことを希望する者なり從來地方官の更
迭は政府の都合を以て中央政府中のものが地方に出で地方のものが代りて政府に歸參する
か、然らざれば甲地のものが代りて政府に歸參するか、然らざれば甲地のものが乙地に轉
じ乙地のものが丁地に代るか、甚しきは甲乙丙丁互に其任地を更換する迄の事に過ぎずし
て更迭と云へば更迭に相違なけれども出入更代その人に變りなき以上は地方政務の實際に
格別の變化ある可らず而して今回の更迭も亦此種の變化に外ならざるが如くなれども抑も
今日に當り地方官の更迭を必要とするの理由は何れに在りやと云ふに我輩の所見を以てす
れば地位の變化にあらずして寧ろ人の交代に在る可しと信ずるものなり從來政府の改革は
頻々にして隨て地方官の更迭も少なからずと雖も若しも人の新陳交代如何を問へば中央政
府に多くして地方官に少なしと云はざるを得ず蓋し中央政府の官吏は政務の衝に當りて四
方の刺撃少なからざるが故に新陳交代を促すの勢も頗る急にして古流の者は自から退き之
に易るに新進の輩を以てするの機會に乏しからざるが如し内閣大臣の地位は姑く〓(ル
ビ・さしお)き次官局長以下にして要職に在るものを見るに二三特別の例はなきに非ざれ
ども之を十年以前に比較するときは必ず老退壯進の實あるを知る可し(維新以來政府は薩
長政府と稱せられ内閣員は勿論所謂高等官の輩には兩藩出身のもの非常に多數なりしが昨
今の調に據るに陸海軍を除き各省の高等官中に薩藩出身のものは十名に出でざる可しと云
へり亦以て老退壯進の一斑を徴するに足る可し)然るに地方官に至りては更迭の頻々なり
しにも拘はらず從來の例として其更迭に際し之に代るものは元老院〓官もしくは政府中曾
て地方官の經驗あるものより出づるが然らざれば地方官中の地位を更換するに止まること
前述の通りの次第にして今日に至るまでも例外の變化を見ること極めて〓なりしなれば其
人物は之を中央政府の官吏に比して自から古流の人に富まざるを得ず同じ政〓〓〓の〓〓
に於て既に斯る相違ありとすれば政治日新の今日に當り中央政府と地方政廳との釣合の爲
めにも地方官更迭の必要を見る可しと雖も更に顧みて地方治務の實際に徴するときは益々
その必要を感ぜざるを得ず維新以後廢藩置縣の當座には封建の殘夢を警醒し各地結合の舊
精神を破る爲め地方官たるものは務めて他縣の出身にて其地方の情實には頓着なきを要し
且つ幾分か之に臨むに威力を必要とするの事情もなきにあらざりしより所謂牧民の任に當
るものは自から其事情に相應の人物を用ひたりしことなれども是れは二十年前の夢にして
日本政治の進歩は二十年の間に既に一世紀を經過したるが如く今は却て地方自治の必要を
感じ西洋諸國の自治制度を取り之を我國の舊習慣に參酌して實地に行ふの塲合となれり既
に地方の自治と云へば地方人民の權利利害を保護すること第一の目的にして市町村よりし
て一郡、一郡よりして一府縣に至るまで苟も地方の治務とあれば其目的に相違ある可らざ
るは勿論、殊に二十年來新敎育新智識の下に發達したる今の民生は何れも權利自由の民に
して之に臨むに牧民の舊筆法に由る可きに非ず然るに地方官の職に在るものを見れば前に
記したる如く多くは古流の人々にして其精神既に古きが故に其治法も亦隨古ならざるを得
ず近年來地方官と人民との間に兎角苦情紛耘の絶えざるも其原因は樣々なることならんと
雖も我輩の所見に據れば一方は牧民の筆法にして口に之を公言せざるは勿論、或は強て新
流を粧ふものなきに非ざれども其擧動成跡は自から之に類することを免れざる其一方に人
民は權利自由を楯として相對立せんとする新舊精神の撞着に歸せざるを得ず左れば今日に
於て地方治務の實を擧げんとするには地方官に新流の人物を要すると同時に其地の利害事
情にも明なるものを撰むこと肝要にして此點よりするも地方官の大更迭は甚だ必要なるが
如し而して其人撰に至りては固より我輩の知る所に非ざれども或は政府中の新進者にして
十分この邊の心得あるものを以てするも可ならん或は年來地方に在職したる壯年の官吏に
して其地方の事情に明なるものを昇任せしむるも可ならん又或は世間の風説の如く國會議
員中より撰擇するなども妙なる可し人撰の方法は何れにしても我輩は政府が此際に大更迭
を斷行し年來餘り變化を見ざりし地方官の撰任に老退壯進の實あらんことを希望するもの
なり