「定説の速ならんことを望む」

last updated: 2021-12-25

このページについて

時事新報に掲載された「定説の速ならんことを望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

定説の速ならんことを望む

内閣更迭の沙汰一たび流布せしより世間にては取り取りの説を作し風聞に風聞曾て取留たることを知る

に由なし即ち我輩も其風聞中の人にして何とも明言すること能はざるのみか事の源たる内閣に於ても今日

尚未だ定説なきや明なり若しも説の定まりたるものあらんには斯る大切なる事柄にして悠々時日を空ふする

の道理あらざればなり右の如く世間の風聞都て取留なしと雖も山縣伯が總理を辭して西郷伯に椅子を讓ら

んとする云々の談は稍や事實なるが如し然るに今日に至るまでも尚ほ決せざるは西郷が何分にも總理は自

分の長所にあらずとて之を辭退し山縣も亦その職を去るは當初八方よりの勸めに任せて就職せしときに國

會開設の一段だけを濟まして跡は人に讓ると約束したることもあるが故に今日は其約束通りにするとの徳義談

にして必ずしも病氣などの爲めにはあらずと云ふ夫れ是れの意味合にて兎角内談の纏り付かず又一方には

伊藤伯が入閣することもあらんかと遠方より噂を立る者あるに就ては松方大山二伯の進退も自から内談中の箇

條と爲りかたがた以て決斷は次第に手間取るよし是等の風聞が事實に遠からずとすれば更迭の難きも至極

尤もなる次第なれども左ればとて内閣員の更迭てふ政府の大事件が世人の口の端に上りて徒に長日月を空ふ

するは決して利益にあらず廣く直に社會に利害を及ぼすことなしとするも官海無數の大小吏輩は如何ばかり

の心配なる可きや其心配は即ち政務の遅滯を致して詰り公共の不利たらざるを得ず依て我輩が傍觀者の眼

を以て事情を視察し今日の所望を云はんに伊藤伯の入閣は迚も出來難きことならん伯は勉めて今の政海を

避け既に其貴族院の議長たりしときも無理に強ひられて之を諾し閉會匆々辭職したる程のことなれば是れ

は暫く其人の意に任して他日の候補者に存し置き扨て山縣西郷二伯の進退に就ては山縣がいよいよ約束云々

を執て動かずとあれば西郷必ずしも辭するに及ばず同伯の名望地位を以てすれば假令へ穎敏なる小才小智

に乏しとするも是れは小吏の事にして取るに足らず西郷の力能く總理大臣の任に堪ふ可きや我輩の信じ

て疑はざる所なれども人の進退は他より強ふ可きにあらざれば如何なる事情あるも就任す可らずと斷言する

に於ては山縣伯が依然その職に在りて何等の差支もながる可し凡そ世の事は難しと云へば難し易しと云へ

ば易し今日まで總理の椅子に居て差したる困難もなく特に人に厭はれたることもなく首尾能く二年間を經

過したることなれば遠慮に及ばず尚ほ今後も相替らざる總理大臣にして困難なきは是亦我輩の竊に保證す

る所なり斯の如く山縣なり西郷なり首相と定まりたる上にて大蔵大臣の松方伯が今のまゝにして不都合

とあれば是れも内談にて暫く他に轉じて差支なかる可し殊に近來商賣の不景氣困難その根本は必ずしも大

藏省の所爲に非ざる可しと雖も愚癡の人情動もすれば難澁の原因を政府の理財法如何に歸するもの多ければ

此處は施政の機轉として暫く松方伯を外して人氣に投ずるも自ら一策ならんか伯去るも人民の困難舊の如くな

れば民心果して釋然として伯も亦却て心に愉快なる可し其後任に至りては甚だ人撰に苦しむ所にして人物

を云へば大隈井上二伯なりとは十指の指す所ならんなれども井上は暫く政治に意なしと云ひ大隈も亦出るに

甚だ難き事情あるよしなれば是れは暫く見合せとして扨實際に於て日本政府の財政を司どる者は必ずしも經

濟家に限らず文部大臣に是非とも學者を要せざると同樣の筆法に従ひ朝野の何人にても唯長官の椅子に在れ

ば事務は次官にても屬官にても執行して可なり又學者流の經濟論に至りては妙案名策を獻ずる者多きに苦

しむ程なれば大臣は唯これを取捨して却て大に事の擧ることもある可きが故に大藏長官の人撰は左まで苦勞

に及ばざる可し兎に角に今日の如く唯内閣更迭の沙汰のみ喧しくして其實際の決せざるは徒に人心を惑はす

のみにして社會の爲めに害あるも益なければ我輩は人物の誰れ彼れを問はず一日も早く定まる所に定まらん

ことを冀望すると同時に政治社會の長老輩が今少しく勇氣を振て相互に少しく無遠慮ならんことを勸告する者

なり                                        〔四月十六日〕