「露國皇太子殿下の御遭難」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「露國皇太子殿下の御遭難」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

露國皇太子殿下の御遭難

露國皇太子ニコラス親王殿下には昨十一日江州大津に於て狂人の爲めに危害に罹らせられ

たりと云ふ我輩は此飛報に接してまた言ふ所を知らざるなり

抑も殿下は徃く徃く露國の帝位を嗣がせらるべき貴賓にして此回の御漫遊こそ實に日露兩

國間の和親を厚くすべき未曾有の慶事なれば是より先き御漫遊の報あるや我が天皇陛下に

は御満悦斜ならず亘らせられ朝野ともに鹿鳴を謠ふて歡迎の日を待つに切なりしに明治廿

四年四月廿七日海上恙なく我が長崎港に着せられたれば我が陛下には直ちに電報を以て祝

賀を表せられ殿下にも亦報答あらせられて御謁見の日は近く旬日の内にあり其間文武官吏

の厚禮及び沿道人民の歡迎は皇太子殿下にも殊の外親愛の情を催ほさせられ山の秀、水の

美また殿下を慰め奉りて和氣藹然楽しからずと云ことなし而して全國四千餘萬の人民目に

文字ある者は先を爭ひ新聞紙を讀まざるなく之れなき者は説話に聞かんと欲すること頗ぶ

る切にして其意みな露國皇太子殿下に係る報道を得て私に歡迎の情を慰せんと欲するに外

ならず東京府下の如き殆んど狂奔熱走して某の事は以て殿下の尊粲を得んか、某の事は以

て殿下の遠遊を勞らはんか曰く何、々々々指を屈して待つものこゝに久しかりしに五月從

一日は是れ何等の凶日ぞ飛報來りて殿下には負傷せられたりと傳ふ我輩始めてこれを聞き

事の信す可らざるを云ふや衆口恰も一なりしに不幸凶音踵いで縁り復た疑を容る可らず抑

も斯る狼藉に及びたるは何者なるや日露兩國の親誼を云はず將來の關係如何を云はず一國

の大慶事たる貴賓の來遊に遇ひ我が天皇陛下を始め奉り朝野ことことく歡迎禮待を心とな

して唯その及ばざらんことを惧るゝの時に當り恐れ多くも毒手を加へて殿下を傷くるに至

りたりとは是れ决して常人の思慮の及ぶ所にあらず狂漠の狂、端なく非常の慶事をして非

常の凶事たらしめ天下萬人をして無限の痛恨悲憤に陥ゐらしめたるは獨り我國に於てのみ

ならず世界古今未曾有の大變にして日本の國辱を云はず陛下の震怒を云はず將た歴史の汚

點たるを云はず露西亞全國、日本全國に絶對の大不幸として我輩は且つ悲しみ且つ恥ぢ獨

り自ら悚然たるを覺ゆるのみ

露國皇太子殿下の速に御着京あらせられん事は我が天皇陛下の日夜に待たせ玉ふ所たりし

に其甲斐もなく凶報を得させ玉ひければ深く宸襟を痛ませ玉ひ直ちに御見舞として彼地に

行幸あらせ玉ふと云ふ我輩は唯叡慮の露國皇太子殿下に徹し御負傷の聊かにても和らぐ所

あらんことを窃に天に祈るのみ報道によるに殿下の御遭難は敢て甚だ重からずとの事成れ

ば一日も早く快癒あらせられ我が陛下と御同道にて府下へ來らせられ豫て定められたる如

く萬民歡迎の間に各地を遊歴あらせられんこと千祈萬祷して已まざるなり