「露國皇太子の御帰國」
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時事新報に掲載された「露國皇太子の御帰國」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
露國皇太子の御帰國
露國皇太子殿下には本日神戸御出帆にて愈々歸國の途に就せらるゝよし今回太子の御來遊
に付き我國人は官民の別なく爭ふて歡迎の用意に餘念もなく折柄、突然大津の事變起り吉
凶忽ち處を換へて我帝室を始め、奉り全國人民の厚意も之を歡迎に盡す能はずして却て之
を哀悼に表するの不幸に遭ひ遂に中途にして御帰國の始末と相成りたるは是非もなき次第
なりと申す可し抑も殿下の御遭難以來我國上下一般の感情は只管その御不幸を悲しみて爲
す所を知らざる中にも不幸中の幸と云ふ可きは御怪我の輕傷なる一事にして日ならずして
御全癒の趣にも聞けば其上は何卒東京に御来遊ありて十分に歡迎の意を盡さしめられんこ
とを祈りたる其甲斐もなく御歸國に决したるは甚だ遺憾の至りなれども竊に顧みて之を人
生の至情に訴ふるときは其御歸計も實に止むを得ざるの次第なりと推定せざるを得ず傳承
する所に據れば殿下は母后陛下の御最愛にして母后には寸刻も側を離し給ふことを好み給
はず今回の東洋御漫遊も實は殿下より絶ての御願に止むを得ず暫時の間とて御許ありたる
ことなれども親子の至情として母后には深く御心を勞せられ既に御出發後屡ば御呼戻しの
御便りもありたる程にて御懸念殊に深かりし由なれば此度の御不幸を聞かせられては其御
驚きの程如何計りなる可きやと我輩の想像するに餘りある所なり假令へ御負傷は輕症にし
て殿下には左までに思召さずとも母后の御身に取りては一日も早く御對顔ありたきこと
山々ならんなれば此邊の意味より出でゝ父帝陛下より御帰國の訓令に及ばれたるものなら
ん即ち人生の至情にて此至情の間に處しては何人も他より云々すること能はざる所なれば
我官民上下の情に於ては誠に遺憾の至りなれども萬止むを得ざる次第なりとして自から諦
ざるを得ず然りと雖も我國人が前後太子に表したる慶哀の厚意は殿下に於ても必ず淺から
ず思召さるゝことなる可く殊に御遭難の事に就ては既に我天皇陛下の御名代として特派大
使の御出發もありて委細の事情を彼帝室に陳謝せらるゝ處ある可き筈にして其中には殿下
にも恙なく御帰國ありて親しく當時の有樣より我國上下の厚意を御兩親なる兩陛下に奏上
さるゝに至らば其宸襟も必ず慰むる所ありて日露兩帝室の御交情は更に一層の深きを加ふ
るに至るや疑ふ可らず左れば今回の御帰國は我國上下の一同遺憾に堪へざる所なれども兩
帝室の御交情は今後ますます親密なる可き其上に全國人民の太子に對し奉る厚意も必ず貫
徹したる所あらんなれば他日再び殿下の御来遊に接して其遺憾を消するの機會なきを得ず
我輩は本日殿下の御帰國を送るに臨み聊か一言を陳述し全國一般の希望を代表して一日三
秋御再遊の速ならんことを待ち奉るものなり