「老て益々壯なり」
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時事新報に掲載された「老て益々壯なり」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
老て益々壯なり
老て益々壯なりとは獨逸の國老ビスマーク翁の事なる可し翁は本年正に七十六歳、東洋流
の考を以てすれば既に老耆の域に達したるものなれども其精神氣力は未だ衰へずして尚ほ
政海に雄飛するの志あるが如し抑も翁は少壯先の老帝を輔けて普漏西の一王國より起り墺
地利を制し佛蘭西を敗りて獨逸帝國一統の業を定め三朝に歴事して國の元老と稱せられ隱
然歐洲列國の覇権を掌握してビスマークの姓名全世界を震蘯せしめたるは實にナポレオン
以來の一人にして政治家の能事了れりと云ふ可し然れども盛名の下は久しく居る可らず近
年來その政略に反對するもの漸く多きに加へて尚ほ其上に今帝との間柄〔手偏〕も兎角妙
ならずして昨年の春を以て遂に其職を退くに及べり當時事の成行を想像するものは説を爲
して翁は老年と云ひ且は從來の功業既に加ふ可らざるものあるが故に今後は閑散に處して
老餘の生涯を安樂に送るならんとて一般の推測も大抵は其邊の鑑定なりしに其後の消息に
據れば翁は中々閑散に安せずして新聞記者などに對しては時々過激の語を吐き現政府の攻
撃に憚からずして尚ほ爲すあるの勇氣を示すものゝ如し或は是れも翁が無聊に苦しむの餘
り無責任の放言自から鬱を遣るものならんとの評もなきに非ざりしが凡俗の想像は豪傑の
心事を穿つ能はず其功名心は老て益々盛に前號にも記したるが如く今回は愈々ハノーヴル
の撰擧に應じて國會議員と爲り大に運動するの决心なりと云ふ思ふに翁が老餘の擧動は如
何なる運命を呈出す可きや豫め知る可らず從前の勢力を全く回復して再び元のビスマーク
朝を見るは或は難かる可しと雖も老後の思出として其運動の必ず目覺しきものある可きは
我輩の今より期する所なり就て思ふに東洋の政治家が割合に老衰の期早きにも拘らず常に
小功名に安んじて大有爲の志なく少しく困難の事局に當れば之に堪へずして動もすれば自
から退くの覺悟を爲し敢て之に當らんとするの勇氣に乏しきは之を西洋諸國の老政治家に
比して顔色なしと云はざるを得ず例へば我維新功臣の人々にしても其功名は日本國中に於
てこそ人も羨み自から得意なるが如しと雖も國家永遠の大計上より云へば未だ以て事業を
全ふしたるものに非ざるのみか外國との關係の如きは依然たる舊時の儘にして未だ獨立の
實をも得ざるものと云はざるを得ず左れば今の政治家の事業は寧ろ今日以後に在るものに
して今後よく其難局に當りて内外の始末を全ふするに非ざれば維新功臣の名は兎も角も之
を國家の功臣とは稱す可らざるものあるが如し然るに其人々を見れば年齢未だ老したるに
も非ざるに兎角難局を嫌ふ樣子にて或は既に政治に倦みたるの觀なきに非ず此程の内閣更
迭談の如き其事情原因は外より知る可らずと雖も山縣首相の進退と云ひ又その候補者たる
可き伊藤西郷兩伯の擧動と云ひ若しも世間に傳ふる所の風説に據りて見れば何れも難局を
避くるものゝ如くにして之を文明流政治家の本色と云ふ可らず若しも其人々にして全く功
名の念を絶ち今後永く政海を退くの决心ならんには其迄の事なれども實際然らざるに於て
は我輩は少しく諸外國政治家の事例に鑑みて尚ほ一層の奮發を希望するものなり抑も東洋
人と西洋人と比較して其氣力精神は兎も角も身體上に於て東洋人の早く老衰するは疑ふ可
らざる事實にして是れの五六十歳は彼れの七八十歳にも均しきものなれば此點も亦今の政
治家の考ふ可き所にしてビスマーク翁が八十近くの高齢を以て政治に奔走するは驚く可き
が如しと雖も維新功臣の政治家流も今は大抵五十歳以上にして前の比較を以てすれば今後
十年内外にしてビスマークと同年に達するものと云はざるを得ず而して翁の年齢にして翁
の精神氣力は事實に於て之を一般の東洋人に望む可らざるものとすれば今の政治家が其技
倆を逞ふして活溌に運動す可きは正に此三五年の間にして假りに我輩をして其地位に在ら
しめば鞠躬奔走寸時も休息することなかる可し其人々の爲めに誠に齒痒く思ふ所にして偶
まビスマーク翁の近事に就て序ながら一言するものなり