「移住日本人の評判」
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時事新報に掲載された「移住日本人の評判」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
移住日本人の評判
我國民中の幾部分をして成るべく海外に移住せしめざる可らず移住行はれざれば斯國危し
とは我輩の常に心を用ひて論する所にして世間の趨勢も漸く自然の必要に促されたるもの
か近來に至りて移住、殖民論は往々人々の唱道する所となり前途の希望また敢て空しから
ざるの色あるが如きは聊か以て慰むるに足ることなれども今の海外移住は無人の嶋國を占
領するに非ずして兎も角も第一着は他國の域内に寄食せざるを得ざることなればツマリ他
人を對手の相談にして必ずしも自家の意の如くなるを得ず若しも先方の都合によりて我來
住を禁絶することあるに於ては空しく天の一方を眺むる計りにして復た奈何とも爲す可ら
ず支那人の米國に排斥せられたるが如きは即ち其適例にして漫に移住移住と云ふと雖も既
に自他の關係の存する限りは之を絶對無異の方便となすこと能はざれば我國にても移住の
ますます必要なるに隨ひ大に爰に留意する所ありて彼の支那人の覆轍を踏まざるの工風頗
ぶる肝要の事なるべし葢し移住は我立國の爲めに一條の血路とも云ふべきものにして萬一
この路の杜絶せらるゝに於ては我輩は復た國家生存の爲めに施すべきの他策あるを知らざ
ればなり是即ち我輩が熱心に移住の必要を説くと同時に他年却て先方より拒絶せらるゝ勿
らんことを注意する所以にして特に世論の漸く海外に着目せんとするに際し吾を定め併せ
て又彼を定めんとするの微意に外ならず
海外諸國に在留する我國人は大抵その國人民の親愛を受るものなるや、日本人の評判は果
して如何と尋ぬるに未だ移住者の數も多からざるが故に格別の好惡なきが如くなれども其
親愛せらるゝ者は最も深く親愛せられ其厭忌せらるゝ者は又痛く厭忌せらるゝの有樣にし
て概して之を云へば厭忌せらるゝ者は多く親愛せらるゝ者は少なく遺憾ながら一般に不評
判なりと云はざるを得ず果せる哉東洋の各港に於ても日本人と云へば鄙陋なる人種と見做
されて一の信用なく米國に於ても日本人の移住に頭税を課するの議さへありしと云ひ其他
濠洲に於ても概して黄人種を厭忌して土地の所有を許さゞらんとするの傾向ありと云へり
蓋し濠洲の土地所有權を黄人種に許さずと云ふ其目指す所は彼の支那人にして日本人には
非らさるべしと雖も米國なり東洋の各港なり日本人の評判宜しからずとのことなれば今後
如何なる時運に際して日本人も遂には其所謂黄人種中に計へらるゝことなきを期す可らず
凡そ是等の事情を觀れば前途痛心の限りと云ふべし或は政府にても其邊に心付きたるか近
來は外航人取締の規則を嚴にせん抔との議論あるよしなれども今日に至りて外航取締は事
の末にして實際に益なきのみならず之を取締りて果して効を奏することもあらば即ち日本
人の海外に出るを禁する姿にして移住奬勵の本旨は既に已に斷絶したりと云はざるを得ず
左れば今在外日本人の不評判に心付きて之を挽回せんとならば先づ其不評判なる所以の原
因を吟味して之に處するの法を講ずるこそ智者の事なれ抑も我開國以來外國に移住したる
者又今日渡航移住を企る者は如何なる種族の人なるやと尋るに其多數は概して赤貧無恥の
男女にして國内にありては身を置くに所なく俗に謂ふ食詰者の果として異邦殊域に流寓漂
泊する輩なれば鄙陋なるあり奸黠なるあり狂暴不人の者あるべきは固より必然のことにし
て業に就き人に雇はれても唯その土地の邪魔となり他の感情を害する計りにして勢、延い
て日本人全體の價を下落せしめざるを得ず斯る種族の續々渡航する今日に際し何とて他國
人の親愛を受け其好評を博することを得んや其不評判は固より豫期す可き所なれども退て
日本國民の全體を見るときは决して無頼の匪徒にあらず否な、其品格の高尚優美なる啻に
東洋に冠たるのみならず歐米人の右に位するの事實は夙に識者の許す所なれば此國民を率
ゐて海外の移住を企て奬勵の法その宜しきを得るに於ては從前の惡評を一變する亦敢て難
きにあらず彼の支那人と同様に視做されて排斥せらるゝが如きは萬々ある可らざることゝ
我輩の確信する所にして要は何故に無頼の男女のみ海外に渡航するや、他の親愛を受くべ
き相應の日本人は如何にせば移住を思立ちて從來の汚辱を一洗すべきやを顧るのみ如何と
なれば前に述べたる如く同じく移住者の中にても深く親愛せらるゝ者なきに非ずして其萬
緑叢中の紅一点こそ恰も能く我國人を代表する者なればなり(未完)