「移住日本人の評判(去る廿七日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「移住日本人の評判(去る廿七日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

移住日本人の評判(去る廿七日の續)

然らば海外に移住する我國人は何故に無頼の男女のみなるやと云ふに唯是れ交通法の然らしむるのみ試に今の日本の航海業を見よ沿岸の航通は東方に日本郵船會社あり西方に大坂商船會社その他何々會社ありて甲と乙と競爭し彼と是と聯合する等世上の談柄は頗ぶる賑かなる樣なれども眼を放て遠洋を見渡すときは日本の汽船にして上海以西に航するものなく東、米岸に達すること能はず偶々志を抱いて海外に赴かんと欲するも渡航は外國船に依頼せざるを得ずして未だ港を離れざるに忽ち異郷の客となり言語容貌さへ怪しき者の配下に起臥して行先の案内も亦不慥なれば實際不自由、不安心に堪へざる上に漠然として之を想像するときは更に疑惧の蔽ふ所となりて殆んど一種の冒險事業なれば少しく身分ありて國内に辛くも生活の道を得る者は假令へ外航の念なきに非ずと雖も先づ以て見合はせざるを得ず洵に無理ならぬ次第にして其堪へ難きに堪ふるものは唯かの無頼の男女に非されば能はず移住者に無頼の者多き所以即ち海外に於ける日本人の評判宜しからざる大原因は實に航海の不自由にして中等以上の人々をして外航を斷念せしむるに由ることなれば今日の策は洋行を外船に依頼せずして日本汽船の航通を助成するの外ある可らず抑も人情は吾に近きものを喜び其遠きものを厭ふ、今外行の途に就くと雖も道中は矢張り日本の汽船にして見る所、聞く所猶ほ家郷に在るが如く婦人小兒にも心易からしむるを得るときは中等以上の人にても此一小嶋國に蟄居して役々細利を營まんより寧ろ海外に赴きて産を成さんことを思立ち遠征の風漸く流行を催ほし到る處に眞の日本人の本質を示して自から他の尊敬を受け彼我の交情眞面目を通することゝ爲る可し然るときは曩に無頼男女の汚辱も漸く一掃せらるゝこと喩へば濁流の汚穢なるに一條の清水を注ぐが如く自然に塵埃を洗ふに足るべし移住者の不評判を救治するの策は唯この一法あるのみなるに前號に記したる如く世間の議論は一に姑息の療法に傾き外航人の取締規則を嚴にして無頼者の渡航を禁止せんとするとは其意の所在殆んど解す可らず恰も開國の今日に居て鎖國の事を行はんとする者にして實際に行はる可らざるのみか、彼の赤貧の者も亦海外に生を營むの方法なかる可らざる所なれば下等社會の醜と中等以上の美と混和して往く往く其醜をして美ならしむるの方策を定め移住先の嫌忌を避けて進んで其遺利を取るの工風こそ智者の事なれ而して其これを成すの策は唯航海業を助長するに歸すべきのみ

移住の事未だ行はれざるに無頼男女の渡航は早くも日本人の不評判を來たし支那人と同樣到る處に逐斥せられんとするの凶報に接するとは實に失望の至りなれども必竟我輩の所説を等閑に付して航海業を助長せざるの誤たるを免れず換言すれば移住奨勵の方法を盡さゞるの尤めなれば彼の不評判のイヨイヨ事實に切迫せざるに先だち斷然こゝに方針を決して政府は航海條例を定め充分の保護を怠る可らず否らざれば移住の道絶えて復た開く可らざるの不幸も計り難し今の文明國人は何れも國外遠征の事を勉め内の不足を外に償はんとて移住殖民に力を極めて競爭するの折柄なれば此急機に處して永遠の計をなさんとすれば有力なる我國人こそ踵を接して移住を試み他に抗して充分の運動を爲さゝる可らず則ち其競爭の仲間に入り互に勢力を爭はざる可らざることにして不評判を招くなどゝは實に案外至極の沙汰なり此點より見ても中等以上の人々の移住は頗ぶる緊急の一事にして航海業の奨勵保護は一日も緩慢に付す可らず世界の大勢を察して移住殖民の急務たるを知る者何んぞ一念こゝに至らざるや (完)