「・社會復古論」
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時事新報に掲載された「・社會復古論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・社會復古論
本編は英儒スペンサー氏近作の論文を抄譯したるものなり原文は題してFrom Freedom To Bondageと云ふ據て之を社會復古論と名け數日閒の社説に代ふ
社會復古論
社會事物の成行に關して人閒普通の斷定は往々事實に反するもの少なからざる其中に(出版の著書を禁制せんとして却って其流行を催ほし、高利の割合を減ぜんとするの計畫は偶ま以て借手の不利を來し、又物を産する土地に於ては他の地方に於けるよりも其物を買ふに困難なる類の如し)最も奇なる一事は事物の改良ますます歩を進むれば其弊害を喋々する聲ますます高きを加ふるに在り英國の人民が全く政治上の權力を有せざるの時に於ては其有樣に就きて不平を唱ふるもの極めて稀なりしが其自由制度次第に發達し歐洲大陸の諸國何れも英の政風を羨望するに至りて國内の不平は却て甚しく貴族政治の弊を喋々して民權の擴張を要め既に其要むる所を得れば更に其上の擴張を要めて其擴張の足らざるが爲めに政治の益々惡風に赴くを訴ふるが如し又婦人の待遇に就ても往古あらゆる苦役は婦人の負擔する所にて纔に男子の殘餘に食み又中世に至りて漸く男子の食事に侍する榮を得たる其當時より社會交際の問題には常に婦人の申分を第一に置くの有樣と爲りたる今日までの事歴を通覽すれば其體面の美は申す迄もなく又陽に之を敬して陰に云々するものもある可らず然るに實際には婦人の待遇に關する不平は日に盛にして殊に婦人の樂園と稱せらるゝ米國よりするの聲最も髙きが如し又今を去ること百年前には世人の酒を嗜むこと一般の風にして途上相逢ふて顏の紅を帶びざるものなく一二甁を倒すの量なきものは人に輕蔑さるゝの有樣なれども誰れ一人として飮酒の害を云々するものなかりしが五十年來種々の原因と共に禁酒會員などの盡力も多少の效を奏して飮酒の風、割合に減少したるにも拘はらず酒類賣買の惡結果を防かんとて政府に法律を發せしめんとするの要求、今日に至りて益々急なるが如し敎育の如きも亦その例を同ふするものにして數代前までは讀書の藝は實際上等中等の社會に限るものとして下等の勞働社會に敎育を普及せしめんとの説を唱ふるものとてはなく若しも之あるときは一般の嘲弄を免れざりしに吾々祖父の時代に至りて二三慈善家の發起したる日曜學校の仕組次第に成長して毎日日曜學校の設立と爲り其結果として一般の人民中に讀書を能くするものは敢て珍らしからざると共に定價の敎育を得んとするの情願俄に增長して遂に人民は智識缺乏の爲に死に瀕せり、國家は單に人民を敎育するのみならず之を強行せざる可らずとの聲を聞くに及べり而して又これを衣食住及び日用品に關する人民生活の有樣に徴するに亦以て同樣の例を發見す可し野蠻未開の時代は姑く擱き下等人民の食物は大麥もしくは裸麥製の麺麭に過ぎず衣は纔に膝に到りて脛を露はし家は唯一間にして煙突の設なきのみならず尋常紳士の宅と雖も四壁蕭然として板泥に施さゞりし十五世紀の時代と天下到る處一般に白麺麭を消費し勞働者の衣服は其主人と同樣にして二枚もしくは三枚を重ねて全體を蔽ひ又その家屋は何れも一間以上を有して然も竈、烟突、硝子窓を備へざるはなく或は屏障塗戸の設さへ少なからざる今世紀の有樣とを比較すれば非常の進歩を致したるものと云はざるを得ず而して其進歩は今代に至りて殊に著しきを見る可く六十年前貧人の數非常に多くして乞丐の徒到る處に充滿したる當時の現状を知る所の人は今の勞働社會の人民が新らしき相應の家に住まひ日曜日の晴着は頗る身綺麗にて下女などの衣服は殆んど其主婦と見まがふものなきに非ず且その食物の如きも生活の度の髙まるに隨ひ贅澤に赴きたるを見て驚かざるものある可らず即ち其變化たる時運の進歩に伴ふて一方には賃金の割合騰貴すると共に品物の價低下し又一方には租税の賦課法その宜しきを得て上等社會に重きを加ふる共に下等社會に負擔を減じたるとの二樣の原因に外ならず而して今日に於ては社會公共の安全の如きも苟も民生多數の利害に關する事とあれば忽ち議院内外の輿論と爲り又多少の身代ある人々は竸て慈善の業に從事する等これを公共の安寧に關する社會の勢力甚だ微々たりし昔日に比すれば殆んど同日の談に非ざる可し然り而して民生の心身の有樣は前記の如く著しく進歩し死亡の割合の減少の如きは以て一般の生活の甚だ難澁ならざるを證するにも拘はらず社會の弊害を訴ふるの聲は益々喧しく遂に今の社會の組織を碎紛に歸し更に之を改造するに非ざれば到底その弊害を矯正すること能はずとて之を蝶々する者次第に多きが如し即ち前に記したる事物の弊害減少するに隨ひ却て其弊害を蝶々するの聲はますます髙きの實を見る可し然り而して我輩は右の如く世論の奇怪なる次第を云ふと雖も左ればとて實際に今の民生の艱難を輕々看過するものに非ず今日の社會に弊害の匡正す可きもの固より少なからずして世間多數の民は猶ほ非境に沈淪して其艱難辛苦の情態憫察す可きもの甚だ多し試みに社會組織の現状を見れば苟も同類同情の心あるものは之に滿足すること能はずして又その社會の人々の擧動も豪も感服するに足らざるものあるを知る可し階級の區別嚴重にして財産分配の不公平なるは人生眞成の希望に反するものにしてその閒に浮沈生々するものゝ擧動も概して人意に可ならざるもの甚だ多きが如し例へば彼の競爭の弊を指斥する多數の人々は競爭より生ずるあらゆる利益を一概に抹殺し去り社會人文の次第に進歩して民生の生活を容易にしたるは生存競爭の結果なることを忘れ又生産者としては競爭の爲めに損することあるも消費者としては却て益する所あるの實を察せず唯其弊害のみを喋々して其利を云はざるの風なきにあらざれども事の實際を詳にすればその害は大にして利益は案外に少なきを見る可し要するに今の競爭の仕組は兔に角に詐欺不正の精神を養成して諸種の害惡を製造するものと云はざるを得ず試みに其著しきものを計ふれば巧に定價の模造品を製出して眞正の物品を市場外に驅り、不正なる度量衡の使用を促し、賄賂の手段を輸入して製造家問屋より番頭丁稚に至るまで商賣社會一般の氣風を腐敗せしめ、詐欺の風を奬勵して温顏、人を欺かざるものは其社會の〓斥を受くるに至らしめ、正直無垢の商人をして往々自から其罪風に陷るか然ら
ざれば其得意を失ふの岐路に泣かしむるが如き何れも競爭の餘弊に非ざるはなく然のみならず商賣社會に普通にして而も日々法廷の公判又は新聞紙上に現はるゝ詐欺手段の如きも其原因の過半は實業社會に於ける競爭の影響と今の商賣上に流行する豪奢濫費の弊習に歸するものゝ如し而して是等の小弊害の外に其毒の最も大なるものは競爭の結果として實際に勞働者の得る所甚だ少なくして理事監督者の益する所甚だ多きの一事に在り然りと雖も我輩が茲に競爭の弊を論するは競爭其物の非を云ふに非ずして競爭の仕組に於ける弊害
と他の仕組に於ける弊害と孰れが實際に甚だしきやを知らんとするに外ならざるのみ(以下次號)