「・社會復古論(昨日の續)」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・社會復古論(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・社會復古論(昨日の續)

形骸(メタモルフヰセス)の變化は天地萬物に通ずる一般の定則にして殊に有機界中の動物體に於て著しき現象の認む可し如何なる種類の動物にても最下等のものを除くの外は生育の始と成長の後とを比較して變化の甚しき實に驚く可き程にて前後の不同なる殆んど同一の物と信ず可らざるが如くなれども世人は唯日常これを目撃するが故に敢て疑はざるのみ而して此變化の定則は獨り天上の遊星界と地上の動物界とに限るのみならず其全體と一部分とに拘はらず人間社會の仕組中にも行はるゝものにして如何なる仕組にて終始變化せざるものはなく前後の構造を對照すれば其間の變化不同殆んど信ず可らざるものあり往時蒙昧の世に各種族の酋長なるものは平時に在りては全く權力なきのみならず他の種族との戰爭絶えざるが爲め其地位の漸く鞏固なる場合に於ても平常の生活は矢張り其部下のものと同樣にして自から衣食住の方便を求むるに汲々せざるを得ず然るに時運の進歩するに隨ひ各種の部屬は次第に合して一の邦國を成し皇帝又は國王なるものが深宮宮殿の中に生長して幾百萬の兵隊を蓄ひ幾千萬の人民に君臨するに至りたる其變化は想像の限に非ざる可し又彼の古代の耶蘇宣敎師が非常の艱難辛苦を嘗めて歐洲各地を巡歴し只管其敎旨の宣布を勉むるに當りては中世に及んで敎會の勢力旺盛を極め土地を領し兵力を有し嚴然たる一國政府の體裁を備ふるに至る可きことを豫想したるものはある可らず而して今の殖産社會の仕組と雖も亦その轍を同ふするものにして其初に於ては何人も今日の如き有樣を前見したるものなかる可し當時の所謂使用者なるものは唯一家の主人たるに過ぎずして其實は二三の雇人と共に同一の勞に服し其所得を分つのみなりしが事業の追ひ追ひ發達するに隨ひ雇人の數も次第に增して監督の事も次第に繁多と爲り近代に及んでは一個の主人の下に多數有給の役員を置き之をして幾百千人の勞働者を監督せしむることなり古流の半家族半社會の仕組は次第に消滅して之に代ふるに全く現在の仕組を以てするに至れり而して是等の圖る可らざる變化を證するには必ずしも幾世紀の前に遡ることを要せず英國の國會が敎育の補助として年々三萬磅を支出するの議決を爲すや或は曰く三萬磅の年額は今後五十年を出でずして一千萬磅に達するに至る可し或は曰く敎育の補助は之に繼ぐに衣食の補助を以てするに至る可し或は曰く父兄並に子弟は饑餓に瀕するにも拘はらず罰金禁錮の恐喝を以て所謂國家敎育を受けしめらるゝに至る可しとて之に反對したるものは目するに冥頑不靈を以てせられたる其時に於ては何人も今日の敎育制度が自由の人民に壓制の實を蒙らしむるの結果を想像せざりしことならん左れば社會の組織とても變化の定則を免るゝこと能はずして論者の所謂新社會なるものも好しや一旦その組織を全ふするも早晩變相を現はして全く豫想す可らざるの結果に達することは前記の事例に照らして甚だ明白なる可し凡そ有機の物體を運動するに全體の働を整一ならしめんとするには其働を支配する有力の機關なかる可らずして其體の大にして複雜なるに隨ひ之を支配する機關は最も妙功有力ならざる可らず一個の有機體に於て然るときは社會の組織に於ても亦然らざるを得ず蓋し社會主義の説に隨へば我々の社會は海陸の兵備を用意し又その治安人權を保護する所の機關を要するに止まらずして更に其生産分配の事を監理し且つ之を一樣平等に平均するの機關を必要とするに至る可し今の任意權力の仕組に於ては社會間の契約競爭は自由に行はれて生産分配に一の監督者を要せず需用供給の理に由りて人々自家の生計を營むの心より種々の物品を製造賣買して他人の需用に供給するが故に自から求めずして衣食住を得るに便利あるのみならず新聞紙敎科書小説の類に至るまでも低價を以て得るの方便に乏しからず而して此需用供給の便利は一村一邑より一州一國に及ぶも總て同一にして何れも皆な人々利を謀り生を遂げんとする自由競爭の結果に非ざるはなし然るに今もし現行の任意協力の仕組に代ふるに強迫協力の仕組を以てしたりと假定して扨その有樣を想像するに今の商賣上の自然に行はるゝ品物の分配も行政の方便に由りて之を行はざる可らず農商工の人々が其營業として爲す所のものも行政の手段を以て爲さゞる可らず而して之を行ひ之を爲すには市町村より國州郡に至るまで首尾脈絡相通ずる監督者を置き一々需用の有無多少を計りて分配の量を定め又時を違へずして之を供給するの用意なかる可らず又鑛山、鐵道、道路なり輸出入の事なり商船の事なり將た水道、瓦斯、電氣の如き公共に關する仕組なり何れも其監督を要する尚ほ其上に郵便電信電話の管理より警察、軍備の事に至るまでも何れも其監督者の處斷に任せざる可らず果して然るときは多數勞働者の地位は如何なる有樣に立至る可きか須らく研究を要する疑問なる可し    (以下次號)