「・眼中人なし」
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時事新報に掲載された「・眼中人なし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
・眼中人なし
政治家が局に當りて事を行ふ其目的は固より國家人民の福利を謀るに外ならざれども扨その目的を達せんとするには先づ世間の名望を博し地位を得ること第一にして政治家半生の苦心は此一事に在りと云うふも可なり即ち目的を達するの實手段にして之を名けて政略と云ふ政略の巧拙不妙は人に存するものなれども其目的にして既に國家人民に在りとすれば手段の爲めに目的を誤らずして其間に政略の巧なるものを見る可きのみ蓋し政治家の常として人々自から任ずること重く乃公に非ざれば天下を如何せんとの大望は此々皆な然ることなれども唯夫れ此々皆な然るが故に名望才略非常に卓越するに非ざれば獨り志を逞ふすること極めて難からざるを得ず政治の舞臺に獨り芝居を演するは何人も希望する所にして其身に於ては愉快この上もなきことならんなれども政治の役者は獨り團十郞一人のみならず菊五郞もあり左團次もあり又かの團菊左の役前とても單に三人のみならずして自から任ずるもの甚だ少なからざる其上に一般の觀客に於ても獨舞臺の芝居を見ることを好まざるを如何せん左れば今の政治役者の連中に獨舞臺の芝居は先づ以て覺束なしとして舞臺は暫く總持の外なけれども扨實際の談となれば總出の芝居とても亦夫れ相應の困難なきを得ず人々の技倆は各々異同長短なき能はずして例へば團十の得意必ずしも菊五の長所に非ず菊五の誇る所必ずしも左團の喜ぶ所に非ざるが如く互に長短異同あるが故に若しも銘々他の短所を云々して之を嫌ふときは總出の芝居も亦成立せざるに至る可し故に政治家の政略は獨り自からその技倆を擅にせざるのみならず他の短所を咎めずして其長所を盡さしむるに在り即ち事を共にせんとするには眼中人を見ずして唯その目的の如何を問ふ可きのみ苟も其目的を同ふせんか其人は即ち我政友にして我目的を助くるものなり以て共に事を謀る可し德川幕府の末年に當り脱藩の有志と稱するもの即ち西鄕、木戸、大久保の徒が四方に奔走出沒して頻りに勤王討幕の議を唱へ又實際に其事を計畫したるは隱れもなき處なれども斯種の人々とても其本心を問へば必ずしも德川を仇敵視するに非ず唯その因循姑息を憤りて大に爲すことあらんとしたるに外ならず又德川の政府に於ても自から因循姑息を喜びたるに非ず時を待て其積弊を改め大に爲す所あらんとしたるものにて其目的は固より有志輩の望む所に異ならざるが故に若しも時の政府の當局者に少しく政略に通ずる政治家ありて彼の有志者輩を敵とせざるのみならず門を開いて之を容れ共に爲す所あるに於ては彼輩と雖も固より目的を同ふすることなれば喜んで事を共にし却て德川政府の爲めに力を致すことゝも爲り大政奉還など云ふ如き末路の失敗はなかりしことならんに時の當局者に此邊の明なく漫に有志輩を嫌惡し恰も兩立す可らざるものとして飽までも之を掃滅せんとしたるは即ち政略に乏しき所以にして我輩が德川政府の爲めに惜しむ所なり今の政府の功臣輩は維新の前後に當りては何れも事を共にしたるものなれども爾來聚散離合一ならずして或は互に胡越の思を爲すものさへなきに非ずと云ふ其不和確執も愈々主義議論の合はざるが爲めとあれば致し方なき次第なれども我輩の所見に於ては決して其然るを信ずること能はざるものなり今回大津の事變に政府内外の老政治家が期せずして西京に會したるが如きは即ち其胸中に國家人民あるが爲めにして政治家の本色として見る可きものなれども其の人々が平日の擧動に至りては何分にも感服せざること多く在朝在野その地位を異にするが爲めに互に和せざるのみならず或は同じ政府の中に在りながらも隱然相對立して相下らず互に奇變を逞ふするのみか意外千萬なる計略を運らして時としては漸く馬脚を露はさんとする者さへなきに非ずと云ふ畢竟其眼中に人を存し互に他の短所を認むるが爲めにして政治家の擧動としては政略に富むに似て却て乏しきものと云はざるを得ず今の政治社會に獨り舞臺の所作を演じて其儕輩を壓倒し又觀客をして見るに倦ましめざる程の大立物あれば則ち可なれども既に獨舞者を以て時勢に叶はぬことなりとすれば政治役者の團菊左たるものも又は自から之を氣取るものも共々に注意し他の長所を以て我が短所を補ひ初めて舞臺の間を合せ觀客の欠伸を免るゝこと記臆せざる可らず即ち今の政治家の政略は此邊に外ならずして政略の眼中人を見ずして始めて其目的を達す可きなれども若しも然らずして銘々勝手に其拙を逞ふすることもあらんか一般の耳目は倦厭の情に堪へずして遂には其自儘なる擧動を認めざるに至ること疑なかる可し