「豐筑鐵道と九州炭鑛」
このページについて
時事新報に掲載された「豐筑鐵道と九州炭鑛」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
九州炭礦の權柄は終に三菱社に歸す可しとて經濟社會の疾くより注目する所なりしが近日に至りて更に一段の勢を加へたるものあり則ち豐筑鐵道會社改正の一事にして抑も該鐵道は筑前若松港より起りて直方に至り夫れより二線に分れて一は豐前の田川郡に達し一は筑前の飯塚に終るの計畫にして其營業は乘客よりも寧ろ荷物を目的にする其荷物の中にも重なるものは石炭なるが故に之を稱して九州炭礦鐵道と云ふも事實に違はざるものなり鐵道の發起人は數年前より右の目的を以て株主を募り會社の組織成りて工事に着手し資本金百萬圓を五十圓株に分て既に一株に付き三十萬圓までを拂込み着々歩を進めんとして意の如くならず其次第は今更ら云ふ迄もなく例の株式恐慌の爲めに金融閉塞、隨て拂込みを怠るものもあれば隨て株券の價は大に下落して今は會社の進退維谷るの流行病に惱むものなり然るに其機會に當りて現はれ出でたるは金力無盡藏と稱する三菱社にして漸く其下落したる株券を引受け既に會社を左右する可き程の權利を握りて乃ち社務の改正に着手し役員等も大抵三菱社に縁ある人物に取替へて恰も事を更始したることなれば工事の成を告るは遠きにあらざる可し此鐵道にしていよいよ運轉を始むるときは目下三菱所有の炭礦新入鯰田の二礦の出炭を運送し尚ほ進んで臼井の大礦を採掘するも自家の鐵道を利用するに等しき便あるのみならず凡そ豐筑の石炭は大抵皆これに依賴せざるを得ず左なきだに豐筑の諸炭礦は資本の不充分なるが爲めに利を見ざるもの多く甚だしきは唯借區の名義を所有するのみにて採堀に着手すること能はざる礦主さへある程の有樣にして今後の成行は到底三菱社に併せらるゝ外に道なかる可しと經濟社會の竊に豫期する所の其三菱が完全無缺の大炭礦を所有する上に運搬の櫂力も握るとあれば是れぞ所謂鬼に鐵棒、虎に翼の諺に洩れず諸炭礦は次第に壓倒せられて次第に衰弱に陷り急迫の餘りに三菱社に賣らんとすれば不用なりと謝絶せられ遂には寶を捨てゝ遁逃するに至る可し即ち該社が九州炭王の位に即くの日なり但し是れは數年の後の想像なれども目下氣の毒なるは豐筑鐵道舊株主中の或る部分にして辛苦經營したる創業の勞も今は水泡に歸するのみならず社務改正以來は約束の如く拂込みを促され三十萬圓拂濟の上に當六月に五圓又八月にも五圓と公然通知せられて以前の三十圓株を賣らんとすれば僅に十七圓内外に過ず拂込みを怠れば公費處分に半金を失ひ、株の所有を維持せんとすれば八月迄に十圓の金策に窮す、射利の起業は今日却て身を亡ぼすの媒介と爲り仰て天を怨む可らず俯して人を咎む可らず鐵道會社成規の命する所なれば自から作る災と云ふの外なし畢竟時運の然からしむる所なりとは云へ本人等が會社流行の熱に乘して分外の大業を企てたるこそ災難の玉子なれ其玉子の孵化したる今は唯自から勞して他を利するの奇談あるのみ此邊の事相を見れば山陽九州等の鐵道も金に困らぬ大株主を生して會社の全體を占め乃ち工事を急にして續々拂込みを促がしたらば俗に云ふ槍栗算段の株主は忽ち狼狽して所有の株を賣出し株式市場更に下落の變を見るやも計る可らず隨分用心す可き事なり