「請ふ伊藤伯を勞せん」
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時事新報に掲載された「請ふ伊藤伯を勞せん」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
請ふ伊藤伯を勞せん
身その局に當らずして時の政治を左右するものあるは古來その例に乏しからず支那に於ては埀簾の政と云ひ我國に於ては政、上皇に在りと云ふが如き歴史上に珍らしからぬ例なれども何れも一時の權宜にして政治の正を得たるものに非ず之を喩へば猶ほ家に若隱居あるが如し主人の傍より家事に喙を容れ陰に陽に指圖する者ありては一家の整理は到底望む可らず埀簾の政と云ひ上皇の政と云ふも家に若隱居の在るに異ならずして即ち若隱居の異名あるものは伊藤伯なれども伯は明治の老政治家中最も當世流にして立憲國會の政理に明なる聞えもあれば到底政治上の若隱居を以て自から甘んずる人に非ざる可し唯今日の處にて其心事の淡泊なるは我輩の推測する所なれども如何せん生來の才氣掩ふ可らずして今日の處即ち世間の嫌疑を招くの媒介と爲り一般の人心に於て伯の多情を疑ふ者多きこそ是非なけれ左れば伯の爲めに謀るに愈々政治の局に當ることを厭ふとあれば斷然今の地位を止め遠く山海の端に退いて全く隱遁するにあらざれば海外に航して暫時政治の關係を絶つか然らざれば嫌疑の黒幕を脱して自から表面の局に當るの一つか二つなる可し我輩は世人と共に其表面の出現を希望して今日は正に其機會なるを説くものなれども扨伯が愈々出づるに就ては今の松方内閣の地位は如何せんと云ふに勿論現内閣に更迭を見ることなれども抑も政權の授受に關して云々するものは民間の政黨に對する塲合に過ぎざるのみ伊藤なり松方なり等しく維新元勲の仲間に外ならざれば其間に政權授受の沙汰あるは受くる者に於ても授くる者に於ても共に不平隔意の事ある可らず殊に松方伯の現在の地位は事情止むを得ずして嫌や嫌やながら就任したるの意味もなきに非ざるよしなれば若しも伊藤伯が自から進んで之に當るとなれば喜んで讓る可きは勿論その他の閣員とても亦同樣にして伊藤内閣の新組織に反對するものはある可らず左れば更迭の一段は甚だ圓滑にして掛念するに足らざれども凡そ内閣を組織して十分の技倆を現はさんとするには共に協力する所の政友なかる可らず伊藤伯は朝野の間に多くの幕下を有して其中には才俊の子弟も少なからざる由なれば其幕僚を推薦するも亦可ならざるに非ざれども我輩の望む所は伯が其幕下を率ゐると共に今の朝野の老政治家と連合して強行有力の新内閣を組織するの一事なり聞く所に據れば前年黒田内閣の時に伯は大隈伯と共に左右黒田伯を輔翼し三伯連合々體して大に運動するの約束を爲したりと云ふ其後種々の都合より政海の事情一變して黒田内閣も世人の知る如き始末と爲りたれども思ふに今の老政治家中名望地位に富み亦實際の技倆あるものは前の三伯の外には先づ西郷井上後藤の三伯なる可し然れども西郷は以前より退隱の志頻りにして今回の免官は恰も平生の宿願を遂げたる如きものなれば容易に其再出を望む可らず井上に至りては當分全く政治に斷念して其決心動かす可らざる由なれば是れ又到底望なしと云はざるを得ず左れば今の政治家中に指を屈す可きものは以上の諸伯即ち黒田伊藤大隈後藤の四人にして若しも今日に當り伊藤伯が自から卒先して前年の約束を温め之に後藤伯を加へて其連合々體を謀り以て新内閣を組織し之を助くるに其幕下の人々を以てしたらんには名望と云ひ技倆と云ひ何人も外より云々すること能はざるに至る可し或は政治家の常として年來の行掛より銘々の間に種々の感情もあることならんと雖も區々たる感情の爲めに大事を忘るゝは政治家の事に非ず今日は最早感情を云ふ可きの時にあらざれば我輩は一日も早く右の老政治家の連合々體を望むものなれども地位と云ひ機會と云ひ其合體の勞を執るに適當なるものは伊藤伯なるが故に伯に向て最も望を屬せざるを得ず而して合體の約束既に成る以上は表面の地位に至りては伊藤伯自から之に當るも又は他の人が之に當るも其邊は時の都合次第にて差支なし唯その連合の偏に鞏固ならんことを祈るのみ抑も伊藤伯なり其他の諸伯なり最早何れも五十以上の年齢にして既に老境に近き人々なれば其精神氣力は如何に活溌なりと云ふと雖も政治上の生活は今後十年間を出でざる可し人生五十既に過ぎんとして大功未だ成らず老政治家たるものは自から顧みて眼前の機會を看過すること勿れ