「六百五十万円」
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時事新報に掲載された「六百五十万円」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
曩に國會が歳出豫算に節減を加へて剩し得たる六百五十萬圓の用途に付ては世間の所説區々にして一ならず中に其聲の稍やきものを枚擧すれば曰く帝國大學獨立の基金曰く美術奬勵資金曰く監獄建築費曰く國防費曰く水産事業の改良擴張費曰く山林費曰く治水費等に供すべしと云ふもの是れなり蓋し當初豫算削減論の起りたるは主として地租率五厘を減ぜんとの主意により起算したるものなりしが議事の模樣意の如くならずして減税論は貴族院の議を經るに及ばず其儘閉會となりし次第なるが故に明年度の事はイザ知らず二十四年度の剩餘金は何か之を有uの事業に消費せざるを得ず或は飽までも地租輕減に執着して一旦は徴收しても更に再び納税者に割戻すべしなど唱ふる者ある由なれども此の如きは實際に行ふ可らざる妄論にして剩餘金の處分に關する最下策と視做して可ならん然るに以上人々の言ふ所は一己の私見としてのおのおの其重んずる所を主張したるものゝ如くなれども各政黨の之に對する定説如何は我輩の未だ聞かざる所にして世評によれば成るべく之を人氣に叶ふ用途に差向け以て黨勢を擴張するの趣向を凝し居るよし遂に何れに決定すべきやは素より知る可らずと雖も趣向の標準は既に黨勢擴張にありとすれば其結果は必ずしも國利と符号すべきにあらず否寧ろ意外の邊に歸着す可しと豫想するも不可なきが如し蓋し六百餘萬圓の資金これを小と云へば小なれども我國の身代に取りては決して輕からず其これを處分するに最も有uなる用途を撰むは亦勿論のことなるべし
顧ふに之を帝國大學獨立の基金に供すべしとの論は取るに足らず其他美術奬勵、監獄建築の如き論者は自から説あるべしと雖も亦固より偏見の嫌を免れ難し國防と云ひ水産と云ひ將た治水山林等に至ては敢て等閑に付すること能はざれども我輩の鄙見にて更に之れより急且つ利なりと思はるゝもの凡そ二あり即ち其一は兼て述べたる航海業保護の事にして(去る三月十七日より連日の社説參照)之を内外の大勢に問ひ之を人口の始末に徴し又これを通商立國の要に照すときは國家最大一の要用は航海業を助長するに非ざるはなし若し此事にして發達せざる限りは未來永遠我國の運命も覺束なしと我輩の確信する所なるが故に航海條例を設けて普く外航を保護するのみならず之れに伴ふ海員の養成將た外國有望の土地を買入るゝ等の爲めに斷じて彼の六百五十萬圓を投ぜしめんとは復た動かす可らざるの希望なれども世の論者が眼を海外に放つこと能はずして只管内事に拘泥し剩餘金の處分も亦從て内事の經營ならざる可らずとあれば我輩も亦暫く一歩を枉げ論者と方向を共にして更に第二の案に移る可し即ち公債償還の事なり抑も今の公債は戰爭に起因したるも其多きに居ることにして此等は決して永く子孫に胎すべき性質のものにあらず且つ現公債の共計既に二億圓に達したるに今後また何等かの要用に逢ひ新に募集せざる可らざるに至ることあらば其キ度ますます債額を揩キのみにして往く往く公債の利足の爲めに租税の大部を奪はるゝこと猶ほ英國の如くならんも知る可らず公債償還の一事誰か急務に非ずとせんや今夫れ六百五十萬圓を以て二億圓に對すれば洵に僅少に似たれども斯して償還したる金額は直ちに民間に融通することゝなりて間接に事業を助け直接に金融を害せざること遙に他の用法に勝るのみか整理公債六百五十萬圓を減するが爲めに其利息金五朱即ち三十二萬五千圓は年々政府の歳出を減して一擧に兩得あるを見るべし何れの點より觀察しても經濟の旨に叶はずと云ふことなければ我輩は剩餘金を内事に向て處分せんとするに先づ公債償還に指を屈し水産改良、治水等に付ては重ねて費用の出所を求めんと欲する者なり
斯く云ふと雖も本來の主意は航海業保護にあること前に述べたる通りにして彼は立國の長策たり是れは内事の小計たること讀者の知了する所なれば爰に活眼を開て内に偏するの陋習を脱し最も有uに剩餘金を利用せんこと我輩は切に希望して已まず蓋し此金の處分何如は國會議員に經濟の思想あるや否や又その國に盡すの淺深を卜するに足るものなるべし今や世論の漸く酣ならんとするに際し一言こゝに及ぶこと爾り