「領事」
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時事新報に掲載された「領事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本の通商貿易は遲々として振はず今日の急要これを發達せしめざる可らずとは常に我輩の論説止まざる所にして時事新報の讀者は定めて其感を同ふすることならん開國の日本を稱して依然たる鎖國なりと云ふも通商の發達せざるを以てなり騷亂兵戈の患なきに國家生存の前途尚ほ足らざるものありと云ふも亦唯貿易の進まざるが故なるのみ洵に今日の國務は通商貿易を發達進歩せしむるより急なるはなしと雖も我國人が海外の事情を詳にするに由なく又彼の貿易の各港に於て國人の爲めに東道の主人たる者に乏しきは必竟目下の病なるが故に今第一着の手段を講ずるに其貿易の案内者を得るより先なるはなし我輩曾て航海業を奬勵助長するを以て之に應ずるの最良方便と認め宜しく之を國家事業となして朝野共に勉む可しとの次第を論じたることありしが眼を轉じて單に政府の直轄部内に就て之を見るに領事なる者あり此吏人こそ正に貿易案内の職に當る者なれども目下の實際に何如なる功蹟あるやと云ふに尚ほ足らざるものあるが如し我輩は之に向て直ちに多を望まんと欲する者に非されども海外貿易の事たる頗る重要にして之を發達すると否とは國運の消長に關すること極めて淺からざるを回想すれば苟も貿易に縁故ある領事其人も亦成るべく有功ならんことを希望するは情に於て切ならざるを得ず否政府は之を有功ならしめんことを務めざる可らず蓋しゥ外國の領事は我國の領事に比して大ひに同じからざるものあればなり
第一領事撰任の事なり、日本は不幸にして世界の大勢に後れ海外に對するの運動頗ぶる幼稚なるが故に外事に注意すること自然に切ならずして通商貿易の案内者たる領事を任するに其人物も少なく亦その撰擇も綿密ならざるが如し數多き在外の領事中には固より特別の適任者なきに非ざる可しと雖も概して見聞する所を評すれば國の通商貿易の爲めに力を效さんと期する者は至て稀にして唯官海出沒の人々が國内に在ては往々不如意の煩累に堪へず餘儀なく海外に一歩を避くる者も少なからざるが故に彼我の貿易上に於ける實際の利害は兔も角も政府に對して儀式的の報告をなせば即ち我事畢れりとなし軈て或る日月を經過すれば言を設け事に托して歸朝するの常にして要するに海外に在て其職務を全ふせんとするに非ず云はゞ歸朝せんが爲めに赴任する樣のものなれば斯る領事にして幾百人の派遣せらるゝ者あればとて唯是れ尸位具員のみ決して實效を望むべきものに非ず大凡そ適任不適任と云ふは其職を好むと共に其職に傾きたる才力を有すると否とに在り然るに從來の領事たるや其心事は率ね彼の不如意の煩累を避くるを主とするものなれば其才力も亦自ら國家貿易の邊に傾くものにあらず乏を貿易の案内者に告げて通商の不振を歎ずる至要の時に際し一官職と雖も其人撰を等閑に附するは不利の大なるものなり必竟我國人が海外の事に冷淡なるが故に斯る次第に立至りしことならんなれどもゥ外國に於ては決して然らず國人の爲めに貿易上の通信周旋をなす者なれば大に領事の人撰を重んじ白耳義國の如き商業大學校の卒業生を艶して其候補者となし特別の榮譽、報酬を以て適任の才を迎ふるに勉むと云へり我國に於ては必ずしも外國の事例に倣ふて人撰の方法を定むるを須ひず何れかと云はゞ今の官吏登用規則によりて成規の官等に任する者の如きは貿易の案内者たるに不合格なる者こそ却て多からんなれば例の文官試驗に應當すべき學科を標準となさんよりは寧ろ規則外に所謂適任の活才ある者を撰み領事の地位をして彼の煩累を避くるの走路たらしむることなく實際の職務に當りて貿易案内者の名實を全ふせしめざる可らず
第二任期の事なり、元來商賣の事は祕密を守るものにして商品販路の實況、各商人の計畫その他將來見込の有無等キて當業者の胸中に收めて容易に之を人に發するものに非ざれば今領事が官職を帶びて海外に航し所謂御用の眼を以て彼の國の商況を視察せんとするも唯その外面を皮相するのみにして内部の實際は知るに由なく恰も門外の人なれば貿易の案内など固より思ひも寄らざる所なり左ればにやゥ外國の領事なるものは大抵外に在ること十年二十年の久しきに任じて人に交り俗に成れ身は商人に非ずと雖も商事を探知すべき各種の便宜を儲け得て始めて領事の領事たる所以を盡すものなりと云ふ然るに我國の領事に至ては前記の如く歸朝せんが爲めの赴任にして僅々兩三年の就職を常とすることなれば市街を眺め山河を望む其間に日月空しく去りて成績の遂に見るべき時なし今に至るまで領事の視察に係る彼の通商報告なるものが徒らに官報紙上を埋めて貿易の實際に殆んど效能の著しきものなき所以は我國民が此等の報告を利用するに鋭ならざるの意味もある可しと雖も其報告動もすれば迂闊にして實利に遠きが故なりと云はざるを得ず之を彼の西洋ゥ國の商人等が持國領事の報告を求め座右に離す可らざる參考と爲して之れに依ョするの事情に比すれば同日の論に非ず等しく貿易商賣の便利を目的にする領事にてありながら其報告の效能に斯の如き相違あるは何ぞや領事その人に才不才あるに非ず唯其人が商況を視察する爲めに便不便あるが故なれば我領事の如きは勉めて其在職の年月を長くして彼の商況の表裡を詳にするの便利を得せしめ要件の報告す可きものあるときは御用の具申に止まらずして常に内國商人の實利を利すること肝要なる可し其手段多き中にも海外永住は人情の樂しまざる所なれば其情を察して特に在外の領事たる者に附するに榮譽と報酬の厚きとを以てするが如きは差向きの必要なる可しゥ外國の事例も亦率ね然るもの多しと云ふ
其他領事の數に於ても現今我國の貿易は各地に擴張せざるが故に自から其數の多きを要せずと雖も白耳義國の如きは國土の面積我が四國九州抔に彷彿たるものなれども流石に商業國の名を冠する程ありて領事の總數七百前後なるに日本は僅に三十五あるのみ、附記して讀者の參考に供す (未完)