「筋書の趣向」

last updated: 2018-06-24

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時事新報に掲載された「筋書の趣向」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

彰義隊の碑前香煙絶へずして鼠小僧の墓上賽客多し弱を憐み奇を好むは人間の通情にして演劇の作者が巧に其情を穿ち世閧フ喝采を博する所以なり蓋し演劇は一種の美術にして此中自から此中の趣味あり局外者の容易に喙を容る可きに非ざれども技術上の詮索は暫く別問題として單に世閧フ喝采を得る一點より觀察すれば作者の極意は時の人情に投ずるに外ならずして能く其情を穿つを以て趣向の最も巧なるものと云はざるる得ず今の世に傳はる演劇の筋書は多くはコ川時代の作にして其所謂時代物の中には全く歴史の事實を敷衍して之に演劇的の趣味を加へたる純粹淡泊のものも少なからずと雖も十中の八九は當代間の出來事を仕組て之を鎌倉もしくは足利時代の事に附會し其年代人名こそ違へども政治の善惡人物の邪正これを人々の心に訴へて歴々實跡を證す可し又世話物と稱するは市井間の瑣事即ち侠客義盜の類の事實を仕組みたるものにて時代人物は必ずしも問ふ所に非ずと雖も自から時の人口に膾炙して愉快に感じたる事實を附會したるものゝ如し思ふに二千年間歴史の事跡少なきに非ず又社會人事の繁多なる傳奇の種に乏しからずと雖も作者が特に其時代の事を附會して而も裡面に微妙の意味を寓したるは即ち時の人情を穿ちたるもにしてコ川の時代に於て時代物其他時弊を寓したる作意が世間の喝采を得たる所以なる可し抑も強を惡み弱を憐むは普通の人情にして此人情の赴く所に隨へば時の政府が權力圓滿にして當局者の得意限りなく俗吏小役人の輩に至るまで威權を逞しふするは決して愉快の事に非ず勿論其本心に於ては眞實不平を抱きて時の政府を云々せんなどは思も寄らざる所なれども唯その耳目に映響する所は情に於て不快の感なきを得ず即ち強を惡むの人情に外ならず作者の得意とする所は蓋し此邊にして暴君奸吏時を得て忠臣義僕の徒が一時、節に苦しむと雖も遂に志を達するの状を寫し又は亡國の遺孤遺臣が千辛萬苦の末、假令へ其志を遂げざるも死に臨んで萬丈の光炎を吐くの樣を述べて時代人物は異なりと雖も自から其當代の事に對照せしむれば人情これを見て快と呼ばざるものある可らず又世話物に至りては單に奇を好むの情に投ずるに外ならずと雖もコ川の盛時に當りては士庶人の區別嚴重にして其間の懸隔甚しきのみならず時の士人なるものは往々その權力を誤用して平民を虐待すること

なきに非ず人情の不滿に堪へざる所なり然るに所謂侠客義盜の所行を見るに其言行頗る快活にして平民の爲めに氣を吐き差や人意を強ふするの觀あるが故に時の人情に於ては竊に其擧動を快としたるの意味もなきに非ざる可し即ち時代物と云ひ又世話物と云ひ世間の喝采を博したる作者の趣向は何れも右の人情に投じて其伎倆を逞ふしたるものゝ如し左れば今代に於ても趣向の巧なるを欲すれば先づ人情の赴く所を察すること肝要なれども凡そ強を惡み弱を憐むの情は古今の別ある可らざるが故に作者の趣向は此邊に向て其伎倆を見る可きのみ今や理論上の見解を別にして單に人情の點より見れば東京府下の如きは三百年來コ川幕政の下に其繁昌を維持して百萬の生民各その處に安んじ絶へて憂を知らざりしものが維新の一擧、不意に桑滄の變を見て舊家は沒落し名寶は四散し留て節に死するものあり去て往く所を知らざるものあり其亡國の慘状は聞くに忍びざる所にして今日に至りても上野、芝に前代の遺跡を訪ふものは自から昔を忍ぶの情なきを得ず即ち萬人の情を同ふする所にして此情の赴く所は即ち作者の材料を取る可き所なり例へば昨年新富座に於て演じたる上野戰爭の如き其趣向は敢て新奇なるに非ず演劇としては非難の點も少なからざることならんと雖も兔に角に一時の喝采を博したるは人情を得たるが爲めに外ならず之に反して過般同座にて興行したる京キ騷動の事實の如き事は新ならざるに非ずと雖も其仕組の骨子は公武尊卑の大義名分論より今の政府の先輩を稱揚して頻りにコ川の事を卑下するなど之を目してキ下の人情に投ずるの趣向と云ふ可らず此一點に於ては作者の不通を惜まざるを得ず又侠客義盜などの世話物も世人の好奇心に投ずる一段に於ては從來の仕組にて差支なきが如くなれども今日は時勢も大に異なる所あるが故に唯その舊套を襲ふのみにて少しも變化する所あらざるに於ては人情に適切なることを得べからず例へば彼の侠客義盜の所行の如きも往時の人情に於ては唯強を折き弱を扶くるの一事を以て快と爲したれども今日は社會の事情次第に變化して啻に強者が弱者を壓するの弊あるのみならず貧富懸隔の勢漸く形を成して富者はu々富み貧者はu々貧に社會の顆粒は殺風景を極め天堂地獄の相違を現世の事相に顯はさんとするは正に目下の情態にして人情の最も切なる處なれば侠客義盜の所行なども此邊の事相に附會して暗々裡に其情を伸ぶるの趣向もあらば從來陳套の所作も更に生面を開きて今の人情に適し世間の喝采を博すること疑ある可らず作者の最も注意を要する點なる可し我輩は固より社會政治の事に就て言ふに非ず又演劇の本旨に就て論ずるに非ず唯筋書の趣向に付き人情の點より一種の觀察を下し數言を陳ずるに過ぎざるのみ