「日本の國會」
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時事新報に掲載された「日本の國會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本の國會
在米國 某
近頃日本の新聞紙を讀み又人の談話を聞くに其言偶々政事に及ぶ時は皆今の議院の不整頓にして議員中往々無用の動議抔を起し徒に時間を消費するのみならず又其言論の野卑にして擧動の粗暴に失するを非難せざる者なし固より其議場の不整頓なるは申す迄もなく言
論擧動の往々紳士たるの格式に反し爲めに議員全體の名聲を毀損する者少なからず如何にも嘆息の至にして議員諸氏に於て其言行の自重謹愼ならんことは我輩の最も希望に堪へざる所なれども又一方より事の由來を究て其然る所以を詮穿すれば強ち之を以て議員の罪と云ふべからず又之を視て大に嘆息するにも足らざるを發見すべし諺に瓜の蔓に茄子は實らず烏は鷹を生まずと蓋し萬物皆因果の理に基くものにて因なくして果を生ずるの理なく同一の因は能く同一の果を生ずるものなりとの原則を手近く物に比喩したる言ならん去れば今の職員は其撰擧人の意思に投じて撰擧人が己れの意に適したる人物を撰び是れならば一角の用に立ち國家の政事を任じて安心なりと信じて擧げたる者なるが故に撰擧人は母にして議員は子なり、子にして母の性を受け其氣風に倣ふは理の固より然るべき事にて更に怪しむべきにあらず即ち瓜の蔓に爪を生じたるものにて天然の定則に戻らざるものなり若しも然らずして烏が鷹を生み今の議員の言論擧動が彼の英國の議員に似て勇にして暴ならず敢爲にして輕率ならざるの風采あらば是れぞ眞に驚くべし怪むべき事なれども同一の因よりして同一の果を生じ烏が烏を生みたるに何の怪むべき事かある今日にして今の議員あるは今の撰擧人中に行はるゝ所の知識の反射したるものなれば其罪を以て議員その人に歸するは不通の論にして基本は日本全國の知識未だ高尚の域に達せざるに在りと云はざるを得ず固より今の議員諸君は日本國中錚々たる者にして所謂輿論を代表するに至るの人物ならんとは雖ども若し此諸君にして平生着實謹愼の人ならば假令へ議場にあるも尚質實謹愼なるべき筈なり平生着實の人物が一朝議員に撰ばるればとて遽に平生の氣風を變じて輕卒粗暴の人となるべき譯けもなし即ち此輕率は今の日本全體の氣風なれば直に之を以て議員一個の罪となすは基評酷に過ぎたりと云はざるべからず然れども今世の論者に一歩を讓り今の議員は其輕卒者中の最も輕卒なる者を撰擇したるが故に日本國中を平均したる輕卒よりも尚一層輕卒なる者とせんか然れども尚ほ此輕卒を以て特に有害無益の大惡事となすに足らざる所以の理あり抑も今の議院なるものは我日本は勿論古來東洋諸國に於て未曾有の一大新事なるが故に世人の其仕組を解せざるは更らなり其利害得失に至ても正に試驗の時代と云はざるべからず已に之を試驗の時代とすれば其擧動は何程輕卒なるも其言論は何程粗暴なるも更に咎むべきにあらず啻に咎むばからざるのみならず我輩は假令へ實際に直接の利益なき愚案愚議にても其提出の數の日に益々繁多ならんことを望む者なり蓋し其繁多雜駁の間に於て自然に事に慣れ或は當惑し或は困難して漸く大に悟る所あるべければなり最初より事に當らず物に觸れず無爲にして以て大成を期せんとするも到底人事に於て得べからざるの事なり其極度に至ては不幸にして其愚案愚議を以て滿場の可とする所となり或は世人をしてコハ天下の一大事なりと思はしむる等の場合もあるべしと雖ども是亦更に差支えあることなし假令へ如何なる愚議を提出して一時此法の行はるゝことあるも社會人事に對する法律直接の影響は案外に鈍く單に法律を器械として社會の盛衰を來たしたるの例は古今未だ其實證あるを視ず或は古今の歴史中往々法律の效力を事實なりとして論ずる者ありと雖ども多くは是れ學者の粗漏にして深く事理を究めざるに由るものなり精細に吟味するときは必ず他に其盛衰の原因あることを發明すべし又萬々一此愚論の爲めに幾分の惡果を生ずることありとするも自から制定したる法律なれば何時にても又自から之を改むることを得べし世人は朝令暮改と云へることを以て天下無二の弊事のやうに云ふ者あれども我輩は却て此際朝令暮改も恐るゝに足らず輕卒粗暴も咎むべからず唯其行ふ所に放て其爲す所に任すべし他より制すべからず他より犯すべからず今の議院法は恰も流動不定の姿に在て未だ形體をなさゞるものなれば之をして凝結せしめ以て永遠の大成を期するには唯放の一法あるのみ若しも此放任主義を以て不安心とならば最初より國會を開かざるこそ得策なれ非國會の説も自から一説にして我輩に於ても所見なきに非ざれども今は之を論して益なし唯今日に在ては今日の要を説くこそ智者の事なれ