「唯勇なきを惜しむのみ」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「唯勇なきを惜しむのみ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

唯勇なきを惜しむのみ

我輩は前號の紙上に於て後進生が家を成すの機會は正に今日に在るの理由を陳して聊か其注意を促したり敢て問ふ世人は之を一讀して果して如何なる感覺を爲したるや茫然讀去りて顧みざるものは共に語るに足らざれども或は之を讀みて多少の感を起し一時は奮發して實行の心を決するも少しく時日を經過すれば其決心も次第に緩みて遂には全く忘却するに至るもの必ず多きことならん即ち人閒の弱點にして今の人情に免れ難き所なれども既に述べたるが如く社會の大勢は次第に貧富懸隔の相を現はして貧者は益々貧に富者は益々富む其大勢は人力を以て如何ともす可らざるものなれば若しも後進の人々が今日の機會に大に斷ずるところなきに於ては立身出世の望みは到底覺束なく千悔萬恨及ぶ可らざるの時機遠からずして來るや疑ある可らず我輩は今より之を斷言して其言の必ず違はざるを信ずるものなり蓋し今の後進の人々と雖も銘々の心事を叩けば何れも節儉貯蓄の必要なるを知らざるに非ざれども之を知りて之を行ふものは甚だ少なく或は毎度心に掛けながらも兔角意の如くならずとて實行の難きを自白するものもなきに非ず兔角因循姑息の態を免れざるは世俗の常情ろは申しながら相應の學識にも乏しからずして目下切迫の場合に臨みながら人々に是れ式の勇なしとは嘆息の至に堪へざる所なり抑も人閒の性質は至て脆弱の者にして外物に抵抗して之に勝は唯一片の勇氣あるのみなれも勇に眞僞の二樣あり眞勇とは學者の勇にして僞勇とは血氣の勇なり學者の勇は智識の判斷より來り血氣の勇は一時の發作に出づるものなり迅雷風烈に色を變ぜず砲火劍撃に心を動かさずと雖も暗夜墓畔を孤行し枯草の風に靡くを見て却て氣絶するものあり蓋し心に信ずる所なくして單に一時發作の勇に依賴するときは其發作の時に當りては身外の萬物總て恐るゝに足らざるが如くなれども一時の血氣既に收まるに至れば萬物亦皆恐る可らざるものなし即ち風聲鶴唳の譬に漏れずして枯草の影に絶倒するものある所以なり學者の勇は之に異なり一時の發作にあらずして智識の判斷に出づるが故に苟も恐る可きものは纖介の微、厘毛の小も之を恐るゝこと甚しと雖も又如何なる變事災難と雖も毫も之を恐るゝことなし即ち醫者が傳染病を恐れずして却て之を惹起す可き誘因を恐るゝが如く其恐るゝも恐れざるも智識の判斷に由るものにして學者の勇の常に其眞を失はざる所以なり扨今の後進少壯の人々を見るに多くは人閒處世の實際を知ること未だ深からず殊に維新以來社會革命の時代を距ること遠からずして其革命混雜の際に政治社會もしくは商業社會の先輩が僥投機の功名談は恰も後進生の心を刺激するものあるが故に世の經歴に乏しき人々は立身出世の一心より時代の變化を問はずして只管先輩の故〓を追ひ當時の僥倖を再びせんとするの情なきを得ず彼の小説に耽るものが知らず知らず自身の境界を忘れて小説中の人たらんことを欲するが如く少壯の人々には無理もなき事ながら如何せん斯る妄想を實にするは今の社會の許さざる所にして畢竟小説作者の妙筆に欺かれたると其愚を同ふするものとは云はざるを得ず本來人閒社會の現象は數理と情感とに支配さるゝものなれども社會の進歩するに隨ひ數理の勢は次第に增して情感の力は次第に減ずるものなり例へば戰爭の如きも往時に於ては兵士の勇怯即ち士氣の振不振を以て勝敗を卜する唯一の目的と爲したれども今日は然らずして器械道具の整不整、兵卒軍艦の多少を以て之を判するが如く社會萬般の事すべて情感を去り數理に就くの勢にて即ち貧富懸隔の大勢も此有樣を事實に現したるものに外ならざれば今や其衝に當る可き社會後進の人々は先づ此點に注意し漫然たる情感を一掃して滿身すべて數理を充すの心掛なかる可らず若しも然らずして壯年血氣の勇に一任し功名富貴手に唾して取る可しとの妄想を抱き夢中に進むこともあらんか血氣の未だ衰へざる其閒は此種の僞勇も或は賴む可きが如くなれども當る可らざるは數理の勢にして他年一日形露はれ勢格するに至れば英氣忽ちに挫折して遂に永劫奈落の底に陷ゐらざるを得ず即ち其賴む所僞勇にして眞勇に非ざればなり左れば今日以後貧富懸隔の大勢次第に其勢を逞ふするは數に於て免れざる所なれども今の日本社會は上下貴賤とも奢侈贅澤の風に流れて殆んど返るを忘るゝの最中なるこそ幸なれ世の後進生たるものは此閒に覺悟を定め大に節儉貯蓄を心掛けて細々注意するに於ては今後の大勢は眞に恐る可きに相違なしと雖も其勢いの未だ迫らざるに先ちて一身の地位を成し禍を轉じて福と爲すの望なきに非ず其次第は前號に述べたる如くにして數理に於て明なる所なれども世上に之を行ふの勇あるものなく或は一時の勇あるも之を永續するの眞勇あるものを見ず思ふに今の後進の人々は何れも相應の學問智識を有して事物の判斷はある可き筈なるに實際には其判斷を實にせずして却て一時發作の僞勇に依賴するもの多きが如し我輩は其説の行はれざるを嘆せず唯世上に眞勇の人少なきを嘆ずるものなり

〓 足+従の旧字