「對外思想」
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時事新報に掲載された「對外思想」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本が開國の國是を決してより爰に殆んど半世紀、日尚ほ淺しと云ふ可らず而して我が朝野の嚮ふ所を見れば唯内部の少經營に擾々として外に對して國を立つるの長計を講する者甚だ稀なるが如し開國の國是を定めて開國後に處するの方法を盡さずんば寧ろ初めより國を開かざるの優れるに如かず人の言に日本の國を開きたるは當時國を開くを以て得策なりと認めたるが故にあらず世界の大勢八方より促し來りて止むを得ず交際を約したるのみと云ふものあり此言或は然らん我開國は實に人力を以て防ぐ可らざるの大勢に餘儀なくせられたる事ならんなれども今日の如く開國の名ありて開國の實効擧らざるときは諸外國はu々富強を加へ吾はu々貧弱に陥ゐりて大勢の傾く所その極度を云へば遂には國を亡ぼすの否運に近つくことなきを期す可らず我開國果して世界の大勢に促されたるものなりとすれば其亡國も亦大勢に促さる可きものなりと覺悟せざる可らず左れば開國の後の處するの方法を盡すと盡さゞるとは即ち國を亡ぼすと亡ぼさゞると禍福二途の分るゝ所にして今日謂れもなく開國を憾むが如きは國を開いて坐して國の亡ぶるを待つ者と云ふ可きのみ我輩の大に取らざる所にして又國是の許さゞる所なり抑も我開國論は王政維新に至りて更に端緒を改め當時の國論に我大日本國は東洋の孤嶋に雌伏せずして將に世界の大局に雄飛す可きものなりと議論ここに一定して爾來二十四年の久しき曾て其方針を變したることなきに今日の實際を見れば世間徃々唯内あるを知りて外あるを知らざる者多しと云ふ心を虚ふして之を眺むれば既に不可思議なる其上に尚ほ一歩を進め近來は泰西崇拜の反對に鎖國論を再演せんとする者さへあるが如し奇なりと云ふ可し新開國の新民が滔々風をなして泰西を崇拜し法律制度より衣服飲食に至るまで一切歐米に模倣せんことを勉れば他の一方に於ては之を目して日本を洋化するものとなし鎖國的の論鋒を以て攻撃已まず雙方共に外あるを知るが如くにして未だ全く之を知らざるもの歟、法律以下の諸件を改革したればとて單に内國の文物を飾るの小策に止まりて更に外に對するの針路を講するに非ざれば改革も亦唯國民の煩を爲すのみ又彼の保守論者が漫に外人の侮を怒るのみにして其侮を防くの實手段に至りて漠然たるが如き小天地の蔭辨慶たるに過ぎず然るに方今世界の大勢は各國互に名利を海外に求め互に自家の生存を競ふの時節にして此時節に當り獨り内部の装飾に心を用ひて自から得々たるも誰れか之を憚り之を敬する者あらんや况んや世間知らずの蔭辨慶を演するに於てをや他の侮を怒りてu々侮を招くに足る可きのみ今我國情を人身に喩ふれば胃病を病む者の如し其消化器を損したるは常に一室に閉籠りて戸外に運動せざりしが故なれば之を治療するの第一方は身體の運動の外なけれども胃弱家の常態として心身の活〓を缺き唯徒に内服の藥に依頼せんとして却て運動を怠り爲めに服藥も効を奏せずして次第にu々體力を弱くし百計こゝに盡て始めて運動を思ひ立つと雖も時や既に晩し醫に運動を制止せられて日一日に疲衰へ自滅に非ざれば微々たる輕症にも猶ほ斃れて起きざるに至る者多し我國人の内事に拘泥するの情は恰も此胃弱家の藥用の如くにして其對外の運動を務めざるは戸外の運動を怠ると同轍なれば前途の成行は實に關心せざらんと欲するも得可らず今試に世人が外事に無頓着なる其適例を示さんか曩に國會が節減したる政費の剰餘金六百五十萬圓の費途に付ては諸方の注文紛々として二十餘目の多きに達したれども其注文は悉く國内の經營に屬するものゝみにして之を以て航海業奬勵の資金に充つべしと論じたるは日本國中唯我時事新報あるのみ航海奬勵の事果して不可なりとせば請ふ其説を聞かん我輩も亦信ずる所を述べて講究を怠らざるべしと雖も之を駁せず又之を贊せざるは唯その事の對外を主とするが故に論の如何に拘はらず一概に疎んじ去りて復た可否を容れざるものならんのみ事態率ね此の如し之を以て泰西に模倣し之を以て國粹を煥發せんと欲すと雖も木に縁りて魚を求むる者と何ぞ擇ばん日本今日の急務は先づ對外の思想を發揮するより急なるはなし然らざれば是れ自から危くするの道なり(以下次號)