「對外思想 (昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「對外思想 (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

以上は事の大體のみを論じたるが故に世間或は之を目して空談虚■(くちへん+「曷」)を好むものとせんか更に一歩を進めて云はんに凡そ今日の大勢に於て西より東漸すべき波濤は二樣あり此大波洪濤に逆ふて立脚の地を定めんとするは猶ほ輕舟を大洋に泛べるが如く人をして膽の寒きを覺えしむるものあり即ち其一は生存競爭の潮流にして前號にも述べたる如く歐洲諸國人は其域内に蟄伏せずして外を務め四海を恰も一國となして廣く利を網するに鋭意なるは外に得る所の利を以て内の富強を成さんが爲めなれども今や歐洲にても勞力者の始末に困して利を射ると云ふよりは寧ろ禍を防ぐの方針に向ひ其状恰も飢えたる群獸に迫られて行路を亂るが如く縱横に奔走して其勢甚だ劇しきものなり左れば從來米國に移住したる歐洲人の數は實に夥しきものにして今の米國は歐洲の別家なりと云ふも不可なき程なれば同國にても漸く此等流民の輻輳するを厭ひ過般も移住民條例を改定して其制禁を嚴にすることとなりし次第なるが故に歐洲の目より之を見れば實に容易ならざる不利にして其反動は何れに向て來るべきや左らぬだに東南洋に移住殖民の政策を競爭するの諸外國が今後いよいよ其鋒先を鋭にして苟も餘地あれば自國の人民を以て充てんことを圖り支那の領土の廣漠なるを見ては之を割かんことを思ひ南洋の諸嶋に餘地ありと聞けば之を利せんことを思ひ舟楫の通ずる所、遠近を問はず其別家をなさんとするは勢の自然にして今まさに力行しつつあるの最中なれば此際その競爭の仲間に入るは實に我國務の急要なりと云ふ可し蓋し競爭の仲間に入りて加働者の地位に立つに非ざれば變じて受働者の地位に立たざるを得ず既に受働者の地位に陷らんか啻に國内に溢るる人口を外に移殖すること能はざるのみならず我國民は内の蟄居だも猶ほますます艱難となり内外揉みに揉んで世に悲むべき慘境に沈淪せんは智者を俟て後知るべきにあらず然るに近來世上の有樣を見るに移住殖民の議論漸く行はれ經綸の計を講ずるに至りたるは誠に喜ぶべきことにしてその實行こそ更に願はしき所なれども論者の立言は專ら内國の必要に鑑みて未だ外來の潮流に意を注がざるものの如し内國の必要は如何にも必要にして我輩も亦夙に唱ふる所なれども夫の外來の潮流こそ寧ろ恐ろしけれ蓋し内の一方を見ると外をも併せて察するとはその旨意に於て相類似するものなれども之を處理するの方策に至ては著るしき相違あり我輩の宿論は此溢るる人口を移殖し國内の活路を易くして經世の難澁を救ふと齊しく諸外國と共に其競爭の仲間に入りて加働者の地位を得るに非されば不可なりと云ふに在ることなれば漫に貧民を移殖するを以て足れりとせず中等以上の有力なる商人をして外國の各地に營業せしめ内外相應ずるの道を開いて以て通商立國の基礎を固め又貧民のみを渡航せしむるは日本人の評判を損する所以にして自然直接間接の不利を招くことなれば此等の人人によりて其不評判を除き而して爰に競爭に從事するの願なるが故に其方法も亦中等以上の人人をして心易く海外に渡航せしむるの趣向を斟■(ひよみのとり+「勹」の中に「一」)せざるを得ず右の如く種種の目的を達せんとするには航海業の奬勵こそ第一なれば我輩は心を用ひて之を論述すること屡屡なりしかども世間の論者は此■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)に付て頗ぶる冷淡なるが如し遠征渡航の便利をば與へずして一概に我人心を貶して懦弱なりと稱し甚だしきは今日の事唯外國と戰端を啓いて以て敵愾の情を發揮せしむるの外なしと云ひ又赤貧無頼の男女が醜を海外に晒すを聞いて直ちに渡航を嚴制すべしと論じ貧民移殖の説と撞着するを思はざる者さへあるに至る我輩も亦决して醜聞を喜ぶ者に非ざれども其下等社會の濁流を除かんとするには中等種類の清流を注ぐの外なくして其法は唯航海の便利を易くするに在るのみ又かの人心論の如き我輩も亦國民を評するに内あるを知りて外あるを知らずと云ひ或は浮華贅澤に偏して其源を養はざるを咎め空論に流れて實利に遠ざかるを責むることなれば今の人心を目して善美なりと許す者に非ざれども左ればとて戰爭的の敵愾心を以て之を救ふの良策なりとするが如きは之に同意を表するを得ず如何となれば外人は我競爭の對手たるに相違なけれども海外に運動するに當ては之を朋友となさざる可らざる者なればなり戰を開いて殺氣を興すは航路を便にして人の企業心を誘導するに如かず之を要するに今日の針路は生存競爭の凖備をなし加働者の地位を得るに在ることなれば其擧動は活溌なるべきも其志想は實着ならざる可らず外力は恐るべきも外人は惡む可らず必竟世の論者が内に偏するの習癖を脱せざるが故に或は人心の懦弱を咎めて其他を見ず或は貧民を移殖すれば則ち萬全なりとなし將た又外人を惡む等絶えて其前途に如何なる障害あるべきや又將來如何なる趣向に出づべきやを思はずして唯目前の料理を事とするものならん世界の大勢より觀察して外來の波濤に立たざる可らざるの活眼を開かば其立案も亦誤りなきを得て而して内を知りて外を知らざるの譏りを免るべし之をなすは先づ對外思想を養ふに在るのみ           (以下次號)