「對外思想」
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時事新報に掲載された「對外思想」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
其二は歐洲治亂の餘波なり抑も歐洲の天に戰雲を釀すは一日にあらず之が爲め國力平均を
唱へて列國互に軍備を張り殆んど民力を盡して隙を窺ふの有樣なれば早晩一大破裂を見る
ことあるべしとは萬人同視の所なれども一旦この不幸の禍機を發するに至るときは人を殺
し財を費すこと容易ならざるのみならず農工商業も爲めに運轉を中絶せられて直接間接の
損害は永く延て其國を惱し勝者も敗者も共々に否運を免れざるが故に如何にもして平和を
ば破る可らずとて歐洲政治家が日夕配慮し百方周旋して纔に之を彌縫するは正に今日の實
况なり世人或は此有樣を見て彼の諸國は國力平均の要用に制せられて手足を東洋の方面に
伸ばすこと能はず我國に取ては意外の僥倖なりとて窃に安心を托する者なきにあらざれど
も我輩は未だ容易に之に同意するを得ず今や彼の列國は諸政治家の盡力によりて睨み合ひ
の姿をなせども軍備の上に軍備を重ねて互に敵〓の情を激するときは人心の傾くところ之
を留めて駐む可らず政治家も最早や慰撫の策なきに苦しむことゝなる可きは情勢の止むを
得ざる所なるべし戰はんか、損害の影響大なるを如何にせん、戰はざらんか、人心の抑ふ
可らざるを如何にせん蓋し古今の史乗にも往々有勝の事例にして此時に當り唯一條の走路
は其鋭氣を外に導くに在るのみ即ち兎も角も鬱憤を消せしめて以て數年の平和を買ふの外
ある可らず果して然らば其差向けらるべき走路は知らず何れの邊なるや我輩常に曰く今の
世界の合縦連衡は盡く是れ商利の關係に由らざるはなし商利の關係大なれば小國と雖も之
に向て戰を開く可らず其小なるものは大國と雖も之を敵とするに易し故に國防の趣向も先
づ商利の關係を厚くするより急なるはなしと即ち是れ今時戰爭の實相なれば歐洲列國が大
破裂を避くるの走路として必らず其商利の關係の大ならざるものを撰むは勢に於て睹易き
所なり先年歐洲の禍根たる獨佛の間抦の日に日に切迫するに當てや今にも破裂に至るべし
とて當時我國より巡歴したる人々も僅に之を豫言し外國新聞紙も亦筆に殺氣を言〓て爭ふ
て之を報道し商賣社會も暫く手を束ねて安き心もなかりしに如何なる故にや事情次第に鎭
靜して噂もイツしか消失せたり恰も其頃東京の爭起り佛國と支那と戰を交へて旬月の間海
陸に攻伐したるは讀者も定めて記臆せらるゝ所ならん夫れかあらぬか一説に時の獨相ビス
マルクは佛相フエリーに説く所ありて兩國の禍機漸く熟して収む可らず寧ろ其鋒を轉する
の却て互に利なるを覺ゆ東京の事、心靜かに爲す所あれ予は决して其虚を衝かざる可しと
の言に佛相も之を諾したりと云ふ而して東京の役は佛相が無用の師を〓したりとて内閣更
迭を促したるなど事の信僞は保す可らずと雖も自から一理の思ひ當る所なきにあらず其の
此等の例證に乏しからざることなるに首を回らせば歐洲の戰雲は依然として舊の如し假令
へ第二の東京を見ざる迄も其戰雲の動もすれば東洋に漲らんとするの勢を察知したらんに
は之に對して國を立てんと欲する者は豈に大に警戒する所なくして可ならんや是れ蓋し我
輩の私言にあらずマルク氏を始め泰西政治家も亦その見を同ふする所なれば事前に定まれ
ば躓かざるの古箴に從ひ我國民は力を極めて彼と商利の關係を密にして以て所謂平和的の
國防をなさゞる可らざるは勿論外交官に其人を撰むこと及び海軍に力を用ふること等は最
も要用のことなるべし其仔細を次に開陳せん (以下次號)