「對外思想(昨日の續)」
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時事新報に掲載された「對外思想(昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
歐洲の形勢及び其治亂の餘波は率ね前節に記したるが如きものもあらんかと我輩の竊に推測する所なれば我國今日の計は列國戰雲の犧牲たらずして却て其仲間に入り其益友となるに在り、他の利益を妨げずして共に其利益を與にするこそ策の得たるものなれ左れば近隣との國交にますます親善を盡す可きは無論、歐洲諸國との關係は一層の注意を要することにして大に外交官の人撰を重んずべき筈なるに從來我公使に任ぜらるる人を見るに時としては人物の如何を問はずして單に儀式の員に具ふる者さへなきに非ず何故に斯くも外交に冷淡なるぞと尋ねて詮じ來れば畢竟我國人が對外の思想に乏しきが故なりと答へざるを得ず政府部内の長老中には自から敏腕の人もある可ければ之を精撰して公使に任じ以て國の重きを外に成すこそ國の爲め又長老の爲め却て本意となすべきに非ずや或は是れまでは内部の經營も一大事業たしりが故に爲めに勞する所も少なからざりしならんと雖も内部の事は假令へ二三の長老を欠けばとて左まで念となすに足らざるのみか長老の多きは却て政事社會に光景を添へて波瀾を促す樣の次第なれば斷然内顧の情を棄てて海外に使し樽俎折衝の間に爲す所あらば其國交上に益ある可き勿論、長老中より特撰の人とあれば人と共に任を重くして其海外に於ける一擧一動は悉く我内國民の目耳を引き由て以て一般の對外思想を誘起することもある可し例へば伊東、井上、大隈等の諸氏の如きは今の政局に直接の縁もなく自然屈指の中に入ることならん歟我輩は特に諸氏を推すに非されども方今の時勢に外交官の一類を諸外國へ對する虚禮の具と爲し恰も之を放棄して其利害を思ふこと深切ならず又政府の長老に於ても敢て自から之に任せんことを思はざるは日本國を通して對外の思想に疎なるが故なりと推測せざるを得ず公使にして既に斯の如し領事の人撰も亦兼て我輩の感服せざる所にして其外國貿易の爲めに効能の見る可きもの少なきは曾て時事新報紙上にも論して讀者の聽を煩はしたることあり、次に國防の事も陸軍に厚くして海軍に薄きは何故なるや軍略上の事は我輩暫く之を云はず假に海陸の間更に輕重なしとするも所謂列國の仲間に入りて其益友となるべきものは海軍なり時時世界の各地を週航して國光を發揚するも海軍なり况んや貿易の誘導者となり輔護者となるも亦海軍なるに今日の海軍能く此大任に當るを得るや否や我輩の容易に保證すること能はざる所なり凡そ軍備を講するに要は先づ第一に其敵となし味方となすべきものを定むるに在り陸軍を以て國防の主要に置くは見方積りの■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)に於て如何なる説あるや之を知らざれども外交官及び國民が生存競爭に將た有事の際に列國の仲間に友たらんとするには海軍に力を加ふるこそ普通の道理に叶ふものなるべきに其此の如くならざるは亦是れ對外の思想を以て世界の大勢より觀察せざるの一端なるべし
總じて我國民は内あるを知りて外あるを知らず歐化主義なり保守主義なり甚だしきは移殖論さへも此病に罹りて外交軍備すべて眞に對外の思想あるものとは視做す可らざるが如し若しも我國をして積弱累弊の斃すに一任せんと云はば即ち止む、苟も開國の國是を立て富強を以て世界に雄飛するの志望を抛たずんば外交なり海軍なり航海業なり擧國同心、あらん限りの力を盡して國勢の進歩を計らざる可らずと雖も素より莫大の費用を要することなれば人民に於ても亦其負擔を辭せざると共に他百般の國費は之を節略するの道に出でざる可らず我輩は夙に内部の施政の成るべく簡易ならんを祈る者なれば外を務めて外に費すが爲めに内を略するは毫も以て憾みとなさず啻に之を憾まさるのみか寧ろ切望する者なれども國會を始め滔滔たる世間は唯節略の一方に着眼して更に大に費すの要は捨てて顧みざるものの如し一篇の「對外の思想」讀者の瀏覽を汚すことを得ば幸甚のみ (畢)