「一身獨立して主義議論の獨立を見る可し」
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時事新報に掲載された「一身獨立して主義議論の獨立を見る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
國會議塲の言論又は新聞紙の論説は民論の最も粹なるものにして直接間接に全國民の政治思想を代表するものなれども其言論々説、動もすれば社會に重きを成す能はずして識者の冷笑を免かれざるもの多きは何ぞや自から其原因なきを得ず即ち今の名論卓説にして世に重んぜられざるは其論旨の如何に在らずして之を唱ふる其人の如何に由るものなりと我輩の竊に信する所なり凡そ志士論客として専ら政治の論説に從事する者は先づ一身獨立の質に着目し人生に急なる生活の計を得て社會の侮を免かるゝの覺悟なかる可らず一身の獨立なければ主義の獨立もある可らず議論の獨立もある可らず主義議論に獨立なくして社會に重きを成すものは我輩の未だ曾て聞かざる所なり固より今の士人中には着實の人物なきに非らずと雖も之を平均して其全般を見れば議論の空に馳せて自立自活の計に疎なる者少なしとせず即是封建士風の遺傳にして強ち其本人を咎む可らざるに似たれども弊害は則ち弊害にして現に世を害すること大なりとあれば今日と爲りては其の人々に責を歸して辭すること能はざる所のものなり例へば近來社會に不祥の風聞少なからず既に前期の國會にて豫算案を議決したる事に就ても政府と議員との間に内密に財物を授受したりとの説を唱ふるものありしが近頃又銀行の事に關しても府下の新聞社中に賄賂云々の説を傳ふるものあり我輩は固より他の顰に傚ふて是等の内密事を喋々するものに非ず又實際に其事なきを信ずるものなれども去るにても斯る不祥の醜聞をして容易に其醜を放たしめ士人のコ身を犯し去るに一任して世間に甚だ之を怪しむ者なきは決して尋常の事態に非ず盖し其人々の多數は何れも清淨潔白なる人物に相違なかる可しと雖も一身の計に疎にして獨立の覺束なきは彼輩の情態なるが故に世人の之を見ることは其人々の自から信し自から任ずる所に異なるを如何せん少しく鄙近の例なれども町村の組合中に盗難ありて其證跡曖昧なるとき嫌疑の歸する所は先づ其組合中の貧困にして平生評判の宜しからざる者に在るが如し畢竟斯る風説の世間に流傳して人の之を怪しまざるは即ち其人々の平生に信用なきを證するものにして本はと云へば一身の獨立なきが爲めなりと云はざるを得ず我輩は勿論今日に於て我士風の敗頽斯くまでに甚しきを信ずること能はざるものなれども兎に角に獨立の計に乏しきは事實に疑なきが故に若しも此有樣にして改むる所なければ今後社會の風潮次第に急なるに隨ひ其風儀も亦次第に下流に走りて愈々不體裁を演ずるは勢に於て免る可らず其時に至り若しも社會に卑劣なる野心の政治家又は金滿家ありて大に金を散じて内密に奔走依托する所あらんには或は一世の言論々説を左右するが如き奇態なしとも云ふ可らず我輩の今より恐るゝ所なり左れば眞成なる論説を見んとするは之を唱ふる其人々に一身獨立の覺悟あること大切にして若しも是れなきに於ては如何なる名論卓説と雖も又其心事は假令へ公明正大なりと雖も到底社會に重きを成すこと能はざるのみならず時としては世間の嫌疑を來して自から迷惑すること少なからざる可し故に政論家なり新聞記者なり言論論説に從事するものは何は兎もあれ先づ其身の獨立を謀ること第一にして一身茲に獨立して始めて主義議論の獨立を見る可く主義議論獨立して初めて社會に重きを成す可きなり