「刑死者に關する内務省令」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「刑死者に關する内務省令」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

既に國法を犯して刑死したる者なり假令へ其私に於て憐むべきものあるにもせよ之を賞揚哀悼して以て死後に榮譽を授るが如きは社會の風儀を害し秩序を紊すの基なれば深く戒めて忌むべき筈なれども世間の實際を見れば鼠小僧の一類乃至政治狂の暴人まで徃々義と稱せられ忠と呼ばれ暗に人心を動かして啻に世俗の末流のみならず中等以上に重きを成せる人々も亦これに連なりて墓石の碎片を重寶となすもあれば甚だしきは白日公然祭弔を營み特に壯麗を極めて窃に示威運動の意を寓することさへなきに非ず親戚故舊の者が香華を供して其情を慰むるは不可なけれども是れとても猶ほ世間の手前を遠慮するの通例なるに縁もなき輩にして國法に觸れたる刑死者を庇護し揚美せんと試むるは誠に意外の沙汰にして我輩は公安の爲め常に苦々しく思ふ所なりしに此回内務省にては省令第十一號を以て其等の取締を嚴にし刑死者の弔祭は勿論、すべて之を賞揚哀悼することに關して規律を定めたるは頗ふる時弊に適したる處置と云はざる可らず我輩の贊成する所なれども之に付て更に望む所は省令の文字に非ずして其精神を擴張せんこと是れなり抑も刑死者を賞揚哀悼する可らずと云ふは社會の安寧秩序を思へばなり安寧秩序を保全するは國法を嚴守するこそ第一にして若しも人民の之に依遵するを好まざるときは空しく國法に向て改良を加ふべきのみ苟も其現存する限りは決して犯す可らざるや勿論なれば夫の國法は隨時に變更あるべきも其これを犯す可らずと云ふの理は萬世に通じて明白なるべし左ればコ川時代の國法も國法なり明治年間の國法も亦國法なり將來も亦蓋し將來の國法あらん唯時勢の變遷と共に其主義成文を別にするが故に既徃の罪する所にして現今の罪せざるあり現今の問ふ所にして將來の問はざる所あらん左れば舊幕府の時代に罪を犯すも之を今日の國法に照して罪す可らず問ふ可らざる其上に或は其舊時の國法を犯して國是の變革を促し新政新主義の爲めに功勞少なからざる者もあらんとは雖も國家生存長路より觀察し來れば國法は犯す可らず如何となれば其これを犯す可らざるは公安を保全するが爲にして公安保全の大義を缺くものは國にして國に非ざればなり故に一國の政治上に時に變遷あるも唯是れ國運の波瀾のみなれば其波瀾の際に運動して假令へ新政治に多少の便利を與ふることあるにもせよ要撃暗殺等陰險なる罪を犯したる者は國家生存の長路に於て公安を害したる罪人なりとして毫も假借する所ある可らず然らざれば國法不可犯の要義立たずして其結果は猶ほ無事の日に現行の國法を犯したる者を不問に付すると同樣ならざるを得ず以上の事理果して違ふことなくんば今回内務省令により刑死者を賞揚哀悼するを禁じたるも其精神の在る所は我輩の深く察する所なれども顧みて維新以來の事實を窺ふに當時決死の士にして今日の神社に祭られ又は舊時の功勞によりて贈位せられたる人々の中には或は時の執政を害し又は陰險の手段を以て人を要撃したる者はなかる可きや竊に掛念に堪へず我輩敢て其人々の誠意功勞を空ふせんと云ふには非ざれども經國の大計は至大至重にして細事情を顧るに遑あらず此邊に就ては當局者に於ても大に注意を要する所なかる可らず我輩敢て多言を須ゐず唯今回發布したる省令の精神をして獨り内務省に止まらず政府全般に普ねからんことを希望するに外なきのみ