「明治二十四年七月二十三日慶應義塾の卒業生に告ぐ」
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本文
明治二十四年七月二十三日慶應義塾の卒業生に告ぐ 福 澤 論 吉
今朝諸君の卒業は誠に目出度き次第にして自今學塾を去れば自から人事に當りて居家處世の務に忙しきこと
ならん依て送別として1言を餞せんに老生は塾生に向て毎度經濟の要を説きたることあれども經濟論の言
は動もすれば錢の事に亙りて學者の耳に面白からざるのみか不幸にして其意味を誤解するときは却て大に方向
を誤ることもある可ければ今日は經濟を後にし心術の議論より始めて遂に經濟の談に入る可し凡そ人生に大
切なるは獨立の一義にして人の人たる所以は唯この一義に在るのみ榮辱の分るゝ所も君子小人の異なる所
も畢竟その人の獨立如何に存することにして一人一家より一國に至るまで苟も獨立せざるものは人にし
て人に非ず家にして家に非ずと云ふも可なり此道理は諸君に於ても既に承知のことなれば今更喋々するにも
及ばずとして扨獨立の一義の至大至重なること斯の如くなれば之を身に行ふは人生至難の業なりと思ふ可け
れども實際に於ては決して然らず手近く今日の人事に就て其要を説かんに第一知見を廣くする事要用な
り限りある人智なれば他人に諮詢して利益を求るは當然の事なり又人間相互の務なれども人生の行路萬
般の事に當り常に思案に窮して人に依頼し自身は有れども無きに等しく唯他人の言ふがまゝに任せて身を
進退するは無學者流の事にして其趣は家に一錢の貯へなくして他の惠與に食ふ者に異ならず故に獨立の義を
全ふせんとするには人間普通の知識見聞を要することにして今諸君は多年本塾に居り今後戸外の人事に當
りても不慣なる事柄に就て人に諮詢するは固より當然なれども徹頭徹尾思案にあぐんで他人の智惠のみを
借用するの要用なきは老生の信じて疑はざる所なれば獨立の要素既に備はる者と云ふ可し第二は有形の
物に就て他人の助力を仰がざることなり人間に貧富の幸不幸あり隣家の富有に引替へて我家の貧なるあり
誠に堪へ難き次第なれども是れは文明社會組織の不完全なるが爲めに運不運の分れたることにして俄に人力
を以て醫す可きにあらず況んや其隣人を羨むに於てをや全く無益の沙汰なれば我れは我が道を行き額に
汗して自力に食み貧なれば貧に居り幸にして富を致せば又その富に處し道理外の財物は一毫も與へず一毫
も取らずして身を終る可きのみ錯雜極まる社會の中には節を屈して利を取るの道もなきにあらずと雖ども
其節を屈するとは自身を無きものにして他人に依頼するの意味なれば我一身を人非人の地に下だして利を求む
る者なり之を形容すれば一塊の黄金と我身體とを兩々相竝べ身を殺して黄金を取るものゝ如し如何となれ
ば精神の獨立を失ふて人非人の位に堕落したる者は生きて動物的の活動を演ずるも人生の靈は既に斷絶した
る者なればなり左れば諸君は久しく本塾の氣風に養はれて獨立の義を知る者なれば如何なる急に迫るも節を
屈して自から利するの事を爲さゞるは無論苟も他人の熱に依ることはなかる可し平易に云へば返濟の目的な
き金を借用せず謂れなく人に助力を求めず窮して哀を乞はず迷ふて私に陥らず況んや一身の快樂を貪ら
んが爲めに他人を煩はすが如きに於てをや老生は飽くまでも其絶無を保證して自から安心するものなり
獨立の義は至大至重なれども之を平易に解釋すれば其事は甚だ難からずして諸君の身には既に所得の要素
あり左れば今後實業社會に入るとして近來は學者の數も次第に攝Bして世に珍らしからざれば地位を得る
は極めて難きことゝ豫期せざる可らず後進生の行路艱難なりと雖も又一方より見れば世に爲す可き事業は甚
だ少なからずして實業家は常に無人に苦しみ眼前に利益の見込みある事にても其事に當らしむ可き人物な
きが爲めに看す看す利を空ふするの談は毎度吾々の聞く所にして實業社會の一難事とも云ふ可き程の次第な
れば苟も諸君にして人生の艱難を知ると共に平生所得の知見を實地に施して活溌に働き他人の耳目の達せ
ざる處に深切を盡すときは立身の道綽々として餘地あり古人の言に陰コ必ず陽報ありと云ふ人の知ら
ざる處に勞して深切なるは即ち陰の働なれば必ず亦陽報なきを得ず職業の種類を問ふ勿れ報酬の厚薄を論
ずる勿れ苟も我身に叶ふ仕事なれば進取一方と決斷して左右を顧ざる其中に唯一點の要は如何なる賤業を
執るも獨立の大義を忘れずして君子の風を存し大切なる場合に臨んで節を屈せざるに在るのみ即ち學者士人
の凡俗に異にして隨て人に恃まれて立身の容易なる所以なり老生が常に云ふ今の後進生にして立身の意あ
らば其心術を元禄武士にして其働を小役人素町人にす可しとは即ち此邊の意味なり滿堂の諸君世の中に好地位なきを憂る勿れ
〔八月二日〕