「社費節減+文明の紳士」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「社費節減+文明の紳士」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

社費節減+文明の紳士

國會開けて政費節減の説起り國庫の儉約説は延いて私立の會社に及び近來處々の鐡道を始め諸會社の株主中には社費節減の議論喧しくして既に役員を省き給料を減したる向きも少なからず商賣に儉約は尤も至極のことにして事務にさへ差支なければ役員は成る丈け少數少給にして株主の利益を謀るこそ本意なれども爰につらつら會社の由來を案するに其設立の初に於て大凡そ給料の多寡を定め其多寡は所謂世間〓に從ふものにして役員等の生活も亦自然に此世間〓に從ひ内の衣食住、外の交際、萬般の調子漸く高くして漸く内實の不如意を感し假令へ減給の沙汰なきも其懐中は既に巳に温ならずして時としては負債の催促に追はるゝ者さへある其處に俄に減給とありては迚も生活の見込みはある可らず依て心機を一轉して斷して儉約せんと欲すれども心身既に浮世の風に吹き惱まされて何分にもその勇氣に乏しく左ればとて會社の給料の外に錢の入る可き道あるを見ず是れを思ひ彼れを懐へば心緒多端、亂れて麻の如く相濟まざることゝは知りながらも本職たる社務の上に多少の怠漫なきを期す可らず然るに會社の事たるや至大至重にして一刻千金を爭ひ瞬間の怠慢に萬金の損亡を招くは有勝のことにして社員が百圓の私債談に時を移し社用一封の文通を忘れて千圓を失ふの奇談もある可し尚ほ之よりも恐る可きは人の敗德にして凡そ人生の德義心を破るに錢より有力なるものはある可らず窮して盗むは小人の事なれども會社の大人紳士にても窮迫の甚だしきに至れば私心の發起なきを保證す可らず事抦こそ盗偸に異なれども社の公務に關し君子の節を屈して私に利するの方法は甚だ乏しからず從來の事實に徴して其細目を想像し枚擧するは甚だ容易なれども我輩は自から君子の筆端を汚さんことを恐れ態と之を喋々せずして讀者の推察に附し去るのみ左れば諸會社の社費節減は商賣論として至極妙なれども今の所謂紳士紳商社會に行はるゝ其豪奢の風を其まゝにして給料のみを減ずることもあらんには之か爲めに社務の怠慢を生じ社員の私心を發達せしめて意外の邊に意外の不利を招き株主等が目前に節減し得たる僅々の錢は偶ま以て遠大の損亡を買ふの媒介たるを發明することある可し故に今日の株主にして果して社運の永久を謀り節儉以て利益を大にせんことを思はゞ先づ第一番に紳士紳商の豪奢を挫き一切萬事質朴儉約の風を奬勵して惰弱の酩酊を醒まし例へ鐡道會社の重役をして其洋服高帽を脱し草鞋腰辨當にて東西南北に奔走せしむる程の風潮を養生して然る後に節減法をも促す可きのみ若しも然らずして役員等の奢侈酩酊を今のまゝに差置き突然一席の臨時総會に減員減給を議決し一決何萬何千圓を儲けたりなど得意の顔色して却て前後の事情を顧みざるが如きは經濟思想の粗暴なる士族流の考にして一を愛みて十を空ふするものと云ふ可し

文明の紳士

今の文明社會に時めく者は政府の官吏又は諸會社の役員等にして如何なる間違より生じたることにや此輩が分限不相應の生活して實際にあるまじき金を費す其樣は唯驚くの外なし其出入する所の建物が西洋造なれば其身も亦洋服を服し金の指輪と金の時計に何百圓を費して靴一足の價は五圓を下らず冬はストーヴに煖を取りて電氣燈下の椅子に寄り夏は水の代りにラムネの瓶を明けて辨當は洋食に限る一寸一盃もビール、葡萄酒にしてブランデーも一圓以上にあらざれば口に合はず、朋友同僚の集會、貴賓長老の饗應、一人前の料理三五圓を下らざるの慣行なり况んや其公用私用の爲めに旅行などする時の體裁に於てをや月給百圓か二百圓の身分にても居然たる天下の一紳士にして旦那と仰がれ殿樣と崇められ下界の商人等は一泊十五錢乃至二十錢の旅籠なるに紳士の宿料は必らず五十錢以上と定まり茶代は之に四倍して二圓を投し又三圓を奮發し晝食の酒肴に茶代を?せて五圓を費すことさへ珍らしからずと云ふ其生計の出入に無算無法なるは世界萬國に比類を見ず或る外國人の話に日本人の生計を其所得より割出して歐米諸國人に比較すれば凡そ五倍を浪費する者なりと云ひしも妄評ならざるが如し無より有を生せざるは數理の示す所にして本來所得に無き金を費せば其所費は詰り借金たらざるを得ず一方に無理の金策を運らして他の一方に豪奢浪費を逞ふし家道次第に淋しき折抦、政府にも會社にも節減論の流行を催ほして更に減員減給の沙汰に迫まりたり進退如何す可きや我輩の所見を以てするに此時に當りて男子の行路は獨立獨歩して浮世の譏誉を憚らず交際を殺風景にして朋友を失ひ盡すことあるも、費用を節して凡俗の歡心を失ふことあるも、無き財物を費して不義理を犯すことは出來ずと覺悟するの一法あるのみ天下無數の文明男子果して其勇氣あるやなきや