「宮内省の改革」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「宮内省の改革」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

宮内省の改革

近日宮内省に於ては改革を行はる可しと云ふ其趣旨なりとて世間に傳ふる所を聞くに同省は他の官省と其性質を異にして政治外に屹立し云はゞ帝室の御家政向を管理するものにて隨て其組織も他省と違ひ高位有爵の有給職〓に名譽職等も少なからざるが故に容易に改正を行ふこと能はざれども今回の趣旨は各省官制の如く職權を擴張し又は職給の制に改むるなどいふ理由に非ずして唯省費は勿論、官吏の俸給も減じ得るたけは減じて其減じたる剰餘金は専ら慈仁等の要とに充らる可しとの深き思召より出でたるものなりと云ふ誠に有り難き思召にして我輩の一辭なき所なり世間或は帝室費の事に就き杞憂を爲すもの少なからずして帝室には永世の御財産を備へらる可しなど説くものなきに非ざれども我輩の所見は之に異なり普天の下、王土に非ざるなく率土の濱、王臣に非ざるなしとは我日本の臣民が帝室に對し奉るの情にして苟も帝室の御爲めとあれば生命なり財産なり之を致すことを厭ふものある可らず左れば帝室に於ては別に永久の御財産を備へさせらるゝの必要なく若しも御用の節は臨時に仰出さるゝも可なる程の次第なれば平常は成る可く御節儉を旨とせられて其御美德を天下に示さるゝこそ願はしけれ今回の改革も傳聞に由れば畢竟その邊の御趣意に外ならずして殊に其剰余の金額は専ら慈仁等の費途に充らるゝ御思召なりと云ふ此點に於ては只管感佩の外なけれども此際我輩の私見を以て竊に希望のある所を陳ずれば宮内省の性質を更に一層明白ならしめて斷然政治外に獨立の實を示すこと是れなり盖し今日の實際に於ても宮内省は自から政治外に在ることなれども世間一般の見る所は必ずしも然らざるが如し先年今の伊藤伯が宮内大臣にして總理大臣を兼任したるが如きは自から例外にして今日の實際を證するに足る可らずと雖も單に其外形に就て云ふに政務を取扱ふ政廰を内務省大藏省など稱すれば宮内省も同じく省にして其各省に大臣次官等の名稱あれば宮内省にも亦同じく大臣次官の名あり其他省内の組織と云ひ官吏の階級任命と云ひ他の各省と大同小異にして一般の見る所にては之を政務の官廰と區別すること頗る容易ならず假令へ是等は外形の觀察のみなりとするも彼の内閣の更迭談などに際して世の風説を聞けば今回の更迭に宮内大臣は某大臣に轉じ某大臣は之に代りて宮内大臣たる可し又宮内大臣は其更迭に關して大に周旋する所ありしなど相傳へて更に其間に區別なきが如くなるは畢竟世人の誤解に外ならざる可けれども其誤解を來す所以は即ち其實相の明白ならざるが爲めなれば我輩は今回の改正に就き大に宮内省獨立の實を明にするは勿論、宮内省、宮内大臣次官などの名稱は今の政務の各省の名と紛しくして自から誤解の種ともなることなれば同時に是等の名稱をも廢して一般の耳にも全く帝室附属のものと聞ゆるやう相當の名に改め以て名實ともに政治外に獨立せんことを希望するものなり聞く所に據れば先年英國にて今の女皇陛下の即位五十年祭の時其盛典に臨む爲め各國帝王皇族の來會したる者少なからず我國よりも其親王殿下が歐洲行の途次、帝室の御名代として臨ませられたり各國々際の禮として帝王皇族の旅館には其國帝室の親兵を護衛として附するの例なれば英國にても各帝王皇族の旅館には何れも護衛を差出したるに如何なる次第にや我親王殿下の旅館には一兵の來り護るものなし御附の人々を始め我公使に於ても怪しからぬ事に思ひ公使は親から彼の外務省に至りて其事を詰りたるに外務の當局者も夫は甚だ以て相濟まずとて早速女皇陛下の式部侍官に掛合ひたる由なれども宮中の事は外交官などの干渉す可きことに非ずとて是にも非にも一切これを受附ず彼我の外交官も共に當惑の折抦、斯くては國の體面にも關することなればとて親王の家令某は直に宮中に至り侍從官に面して其事を掛合ひたるに此度は直に承諾し右は全く掛官の手落なりしとて其日より早速護衛の兵を附することゝなりたるが右は英の宮中にて未だ我國の皇族に對する先例のあらざるより斯る一時の行違ひを見たるものなりと云ふ我輩は彼の宮中の例を以て我帝室の事を云々するに非ざれども宮中が政治外に獨立して容易に政務當局者の差圖を受けざるが如きは正に此一例の如くなる可きを希望して聊か茲に附記するのみ