「私立學校撲滅」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「私立學校撲滅」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

私立學校撲滅

政府の筋に於て常に官公立の學校に重きを置き却て民間私立の學校を輕んずるの意味あるは年來の沙汰にして今日に始まりたるに非ざれども近來の擧動を見れば益々甚しきを加ふるが如し官吏言人又は開業醫の採用免許に關して官公立學校の學生に特典を與へたるは政府が自から養成したる學生を自から使用し又は之に職業の便を授るの手段として姑く恕す可しとするも昨今世上にて私立學校撲滅策と唱ふる文部當局者の處置の如きに至りては甚だ解す可らざるものにして世間に非常の物論あるも固より怪しむに足らず我輩は寧ろ當局者の事理に通ぜざるを憫笑するものなり聞く所に據れば當局の考案は各地方の公立中學校と各高等中學との聯絡を付け高等中學に入る可きものは必ず公立中學校の卒業生に限るものとして其他は一切入學を禁ずる筈なりと云ふ政府の當局者が専ら自家の學校の利益を謀るは今更珍らしからぬ事にして且つ今の官公立學校の仕組より云へば高等中學と尋常中學の聯絡を付るは強ち不當の處置にも非らざるが如くなれども事の精神に至りては當局者の爲めに甚だ取らざる所なり抑も世間の衆議に於ては夙に各地方高等中學の必要ならざるを認め既に前期の國會にても存廢の議論中僅に其運命を繋ぎ止めたる程の不人望にして其不人望は何故と尋るに第一今の高等中學なるものは高等の普通教育を授け且つ帝國大學に入る可き學生の豫備を爲すものなれども東京府下の如きは私立學校の完備なるもの甚だ少なからずして教育の點よりすれば寧ろ高等中學に優るものあるは世人の現に認むる所なり然るに高等中學に於ては實際如何なる教育を爲すにや其費用の多きは今の日本の經濟に比例して不釣合ひの甚しきものなれども其結果は私立學校に比して別に出色あるを見ず本來教育も亦一種の買物に過ぎざれば同じ錢を投じて同じ物を得るは尚ほ可なれども國民の經濟より見れば一方は一錢の錢を費さずして相應の物を造くるに一方は割合に高き錢を投じて結果は寧ろ佳ならずと云ふ一國の計算上に於て看過す可らざる所なり又これを事の實際に懲するに東京の第一高等中學は格別なれども其他のものに至りては建物の廣きと教員の多きに比し學生の數の甚だ僅少なるは一種の奇觀にして其奇觀は各地ともに大抵同一樣なりと云ふ即ち一般學生の氣風に於ても高等中學の甚だ重んぜられざるを見る可し是等の事實よりすれば高等中學の社會に不人望なるも其故なきに非ずして我輩は斷然これを廢して日本の教育に差支なきのみならず一國の經濟上より云へば是非とも廢せざる可らざるの理由あるを信ずるものなるに當局者の處置は然らずして却て反對に力を極めて保護を謀り今回の所謂撲滅策の如きも畢竟するに其奥意は此に存するものゝ如し畢竟當局者が自家の學校の賑ひのみを謀る慣手の手段として今更怪しむに足る可らず又實際に於ては官邊より如何なる手段を施せばとて民間の私立學校は容易に撲滅し得べきものに非ず獨立完全の私立學校が其處置に取らざる所は此に非ずして彼に在り即ち私立學校の爲めに憂へずして學政當局者の爲め否な寧ろ國家教育の爲めに憂ふるものなり即ち官立の學校を保護せんとする一時の小策よりして民情の和を失ひ其情の熱して發するに至りては遂には國家永遠の爲めに大切なる學事の不利を醸すことはなかる可きやと聊か關心に堪へず其次第を次號に陳ず可し(以下次號)