「私立學校撲滅 (昨日の續)」
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時事新報に掲載された「私立學校撲滅 (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
政府の學政當局者が私立學校を有害視して官立學校の保護に熱心なるは今日に始まりたるに非ず從來慣行の手段に於ても其然るを見る可しと雖も扨何故に私立學校を有害視するやと云ふに當局者間に行はるる説なりとて世間に傳ふる所を聞くに私立學校の教育は政治に偏して治安に害あるもの少なからず彼の世間にて壯士と稱する輩の如きは多くは私立學校の製造に係るものにして社會の禍源は重に其教育に原因するものなりとの説を爲すものありと云ふ我輩の所見を以てするに若しも彼の壯士流の輩出を以て教育の結果なりとするときは其罪は寧ろ官公立學校の教育に歸せざるを得ず之を事實に徴するに明治五年政府が學制を頒布して學校の設立を奬勵し教育の普及を謀りたる其結果は如何にと云ふに爾來世に無産有志にして身に一錢の貯なきも口には天下國家の事を喋喋する少年輩を造出したるの事實は明白にして之を抹殺す可らず彼の明治十三四年の頃政談の氣風盛にして天下到る處に討論演説の聲を聞かざるなき其時に當り政府は殊に命令を發して官公立學校の教員に政談を禁じ又その學校を討論演説の用に供することを禁じたるは即ち取も直さず時の官公立の學校中に政談の氣風頗る旺なりしを證すものにして今日壯士と稱する輩と雖も一一其経歴を取調べたらば政府の奬勵したる各學校の教育を受けたるもの必ず多きことならん近く其例を求むれば政府の筋に縁故あり又曾て其筋より内内補助をも得たる何何學會何何會何何所の如き其名は敢て明言せざれども隨分古流極端なる政論家を養成して之が爲め直接間接に社會に及ぼす可き影響は識者の常に憂る所なり固より天下無數の私學校、鄙近殺風景の政論家を出さざるに非ずと雖も其弊源を尋るときは教育の發達進歩と一般生活の程度と相伴はざるが爲めにして若しも罪の歸する所を求むれば最初政府の當局者が國情の實際を問はずして單に文字上の教育を奬勵強迫したる其偏見の處置に在りと云はざるを得ず然るに事の原因次第を詳にして之を匡濟する所以の術を講せず目下の有樣に就て速了の判斷を下し私立學校の教育を云云するが如きは决して至當の見解と云ふ可らず我輩の萬萬服せざる所なり又聞く所に據れば全國の學生が東京に來集するは府下に私立學校多きが故にして之が爲めに學生をして都會の惡風に感染せしむるの弊なきに非ざれば各地方の高等中學を保護して間接に此弊を防ぐ可しとは當局者の常に主張する所にして今回の處置の如きも或は此邊の意味もなきに非ずと云へども都會に人の群集するは自然の勢にして少年學生の來るも亦唯その一部分のみ各地方に僅僅たる高等中學校を作りて此大都會の學生の數を■(にすい+「咸」)少せんとは人事の大勢を知らざる小策にして戲に之を喩へば大都會に遊冶郎の多きを心配し各地方に花柳を盛にして之を誘導し以て都下を靜にせんと企るものに異ならず中央の帝都には書生も多し遊客も多し其多きは人事の大勢に由來するものにして單に私立學校あるが爲めにあらず遊郭あるが爲めにあらず苟も机上を離れて人間社會を視るの眼あらん人は斯る小策に感服する者なかる可し要するに政府の當局者が兎角官立學校の保護に熱心して私立學校を蔑視するの意は從來の擧動に就て自から窺ふ可きものあれば今回の所謂撲滅策の如きも當局者の處置として固より怪むに足らざれども我輩は靜に事の成行を傍觀して當局者の爲め否な寧ろ國家教育の爲めに憂ふる所のものありと云ふは外ならず彼の高等中學の如きは政府が如何に其保護に勉むるも社會自然の成行に於て早晩廢滅の運を免れざるは數の最も睹易き所なれば今更喋喋するに及ばずとして元來我輩の持論に於て今の官公立學校の教育の如く單に銘銘の生活を目的とするものは之を國家公共の費用に仰ぐを要せず寧ろ人民の自由に任ずるを可とすれども之に反して深遠蘊奧の學理を研究する眞實の高等教育に至りては之を國家の負擔として國の學藝の淵源を養成保護せざる可らずと信ずるものにして我輩の所謂國家教育とは即ち此邊の意味なれども若しも當局者が從來の如く單に自家の學校を保護するに急にして其の他を顧みざるときは益益世論の反對を惹起して其反對論の向ふ所は單に今の高等中學のみならず或は緒官立學校絶滅論となり或は文部省廢止論となり遂に或は所謂國家教育をも云云するに至るやも知る可らずと我輩の竊に掛念する所なり當局者たるものは今日に處して少しく事理に通じ前後を顧みるの心掛なかる可らざるなり (畢)