「官立學校撲滅」
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時事新報に掲載された「官立學校撲滅」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
官立學校撲滅
近來教育社會に私立學校撲滅云々の言を聞くこと屡々なり撲滅とは如何にも殺風景なる激語にして我輩の筆に堪へ難き所なれども暫く時流に傚ふて爰に官立學校撲滅を一言せんに抑も今度の私立學校撲滅策なるものは各府縣の尋常中學を改良して其卒業生をば無試驗にて直ちに高等中學に入學せしむべしとの説専ら當局者間に行はれ既に内決したる由風聞せしより扨は從來高等中學の受驗豫備校として設立したる府下の各私立學校を撲滅し當局者が獨り自家の手中なる尋常中學を繁昌ならしめんとの趣向ならん左りとは私癖の甚だしきものなりとて俄に物論を醸したるが如し右受驗豫備學校の存廢盛衰は我輩の甚だ重きを置ざる所なれば事々しく議論するにも及ばざれども尋常中學より高等中學に通じ高等中學より大學に通ずるは我教育の制度上然らざるを得ざる所なるが故に今日の如く各府縣尋常中學卒業生の學力に乏くして高等中學の入學に堪へざるは遺憾の次第なり之を改良して一貫の工風なかる可らずとは實に當局者の精神にして又撲滅云々の骨子ならん歟窃に思ふに其所謂教育の制度上とは何にを意味するや當局者が心中に描きたる雛形にして初め之を設定するや着々順を追ふて秩序整然たるものなりしかどもイヨイヨ實驗の結果を吟味すれば府縣尋常中學の卒業生は高等中學の入學に堪へずして實際の學力は遙に府下私立の豫備校生徒に及ばずといふ、當局者の説に東京は人材學者の輻輳する所なれば隨て良教師を求むるに易けれども各府縣にては之を求むるに自ら高價を要するが故に私立豫備校と尋常中學との間に斯る反對の變相を來たすものなり宜しく良教師を雇ひ又教科用具をも整全して制度の主意に適はしむべしとの言なりと聞けども我輩は未だ容易に同意すること能はず成程都鄙の懸隔により良教師の供給に相違あるは素より明白の事實なれども東京の府立尋常中學校は同じく都下に在りながら其生徒にして容易に高等中學に入る者も多からず又入學する者も實際大に私立豫備校の生徒に優りたる所もなしとは人々の認むる所にして全體を平均すれば各府縣の尋常中學と五十歩百歩に過ぎざるが如きは何故なるや其他地方に至ては私立と公立と同類の學科程度を以て並立するものなきが故に現に其効力を比較するに由なしと雖も彼の青森縣の東奧義塾の如きは今や同地の尋常中學と並立して殆んど同一程度の學科を教ゆることなれども生徒の學力は遙に義塾の中學に優るものありとは一般に許す所の公評なり此等は素より充分の證左となす可きに非ざれども公立の私立に劣るは我輩獨り之を良教師の得難きに歸すること能はず何處如何なる邊にあるやは云ふに云はれぬ秘密にして公私の別るゝ所は則ち優劣の別るゝ所なりとも申すべき歟左れば尋常中學をして良教師を雇はしむるの説も強ち療治の急所を穿ちたるものとは評す可らざるのみならず良教師を雇んとすれば費用は多々ますます揄チすべし其金の出所を如何すべきや之に關して又當局者の説なりと云ふを聞くに規則正しき教育を授けんとするには良教師は勿論書籍器械等をも充分に備へざる可らず私立學校の費用に乏しき到底これに應ずること能はざれば是非とも公立に向て公力を注ぐの外なしと蓋し私立學校は費用に乏しと云へる其意味を反面より察すれば公立學校の費用は恰かも無盡藏なりと見做すものゝ如くなれども知らず公費は果して左樣のものなるや我國の教育費は人民の生計に照して不相應なりとの言は毎度我輩の口にする所なるに今や教育制度の貫通の爲めに此上の費用も意とするに足らずと説く者あるは實に意外のことにして殆んど不審を解く可らず况んや此中學制度は故森文部大臣の遺法にして大學は學者の事なり小學は啓蒙に過ぎず爰に中學を起し中等の人物を造らんとの主意に出でたるに非ずや即ち其學問を應用して以て職業に就くを得せしむべき趣向にして更に換言すれば子弟に職業を與ふるの機關を作りたるに外なかるべし人々箇々の就業の爲めに社會の公費を以て支持するの理は我輩の曾て知らざる所なれば中學の如きは本來に於て寧ろ全廢すべき筈のものならんに却て其費用を揄チせんとす唯驚くべきのみ當局者は自家心中の雛形を見るに急にして他の事情を顧みるに詳ならずと云はれても我輩は之を避くるの辭なきを惧るゝなり左るにても私立學校は所詮我教育を司どるに足らざるか之を陳べざる可らず (未完)