「官立學校撲滅 (昨日の續)」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「官立學校撲滅 (昨日の續)」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

當局者は其所謂教育制度の貫通を目的として今の府縣尋常中學の爲めに更に一層の良教師を雇ひ更に一層の費用を惜まざらんとして其説に私立學校は資金に乏しければ規則正しき教育を委任するに足らずとの精神なるが如くなれども公立學校の費用にても决して無盡藏にあらず否な、國家の公費は人民の私に職業を授くるが爲め使用すべき性質のものに非ずとの次第は前號に於て略陳せしが又その私立學校を目して資金に乏しとは抑も何の據る所ありて之を容易に斷言するや今日私立學校の資金の公立に如かざるは相違もなき事實なれども其然る所以は私立學校その物の欠■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)にあらずして寧ろ世に公立學校なるものあるが故なりと云ふて可なり若しも公立の尋常中學なからんか乃ち尋常中學を私立する者ある可し高等中學にても乃至大學にても之を公立せざれば之を私立するや疑を容れさる所にして假令へ當局者の考案の如く中學を尋常高等の二類に分ち進んで大學に入る等秩然たる雛形に適はざるべきも人民の需要に應じて國家の教育を司り文明の進歩を翼けて遺憾なからんは我輩の敢て保證する所なり蓋し公立學校の存在は私立學校の發達を妨ぐべきものなるに拘はらず未だ公立を廢せずして私立は資金に乏しと云ふ是れ豈大體に通する者の言ならんや且つ夫れ公立學校に十萬金を要するが故に私立學校にも亦十萬金を要することと想像すべき歟なれども官邊の經濟と民間の經濟とは雲泥の相違ある者にして其中學なると大學なるとを問はず同一の學生を養成するに官立の費用の半分にても私立に之を引受くるは敢て甚だ難しとなさず試に此等の公立學校を全廢したらば民間にては相當の授業料を生徒に徴收して忽ち其欠を補ふて起り教育事業は立派に繼續して而して教育費は現今の半額以下にて充分なりとせば公費と云はず私費と云はず國家全體の經濟に於て益する所大ならずや當局者或は之を危ぶみて斯ては自然其授業料を高くし爲めに教育の普及を妨ぐべしと難ず可けれども國家の義務に屬する最下等教育の以上に進みて自家營生の料に供すべき學問は本來錢を以て買ふの外なき筈なれば財産に餘裕ある者は之を買ふべく然らざる者は買ふ可らず公費を投じて無産の子弟を多學ならしむるは偶偶經世の難澁を釀すに足るべくして既に時事に感する所も多少なれば斷じて之を制止せざる可らざるのみならず授業料の高きこそ却て教育上に有効なれ公費の補助によりて授業料を廉にするときは自家に苦痛を感すること薄きが故に生徒は稽古に奮發力を■(にすい+「咸」)すべきも之に反して苦痛を感すること深ければ其報償を得んとして隨て奮發力を増すこと猶ほ粒粒辛苦の貯金を費すと一攫千金の博利を散するとの相違あるが如くにして青年ながらも其人情は異なる所ある可らず何れの■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)より見ても私立の公立に優るありて更に劣る所なけれども當局者は又徃徃説を爲して民間に一任するときは人民は子弟の教育を等閑に付し勢、退却することあらん公費を以て營生的の教育を助成するは理に於て不可なりとは雖も是も時勢の然らしむる所なれば國家は宜しく其氣運を察して緩急を計らざる可らずと云はんか此等は殆んど陳腐の談にして人文の程度は既に既に教育の何ものたるを知り資力だにあれば爭ふて之を子弟に授けんとするは天下父兄の實情なり思ふに當局者は從來に於ける教育の進歩を以て單に政府の力なりと想定するが故に今猶ほ干渉の必要を信ずることならんなれども我輩の所見にては唯是れ文明の大勢に促されたるものなりと云ふの外なし其進むや既に政府の力にあらず其退くも亦政府の呼吸に關係なきや知るべきのみ公立學校を廢したらば教育事業を沮喪せんと憂ふるは畢竟當局者が政府の力を量るに過重なるの結果なるべし况んや一歩を讓りて其進歩は政府の功勞に由れりとするも今や人智既に發達して最早教育の價値の下落することなきは明明白白にして當局者は此際斷然方針を改め國家の義務たる最下等の教育と文明の花たる最高等の學事とを政府の擔任として其他は現今の大學も又中學も全廢以て民間に一任するは教育の爲め經世の爲め頗る急要なる可きなり

我輩は此回私立學校撲滅の談に付き當局者の諸説を漏聞し又精神を推測して立つる所の鄙言かくの如し既に官立學校の存在を非とする上は前號に述べたる彼の官立學校に入學の爲め私立せる受驗豫備校等の盛衰を意とせざるも亦勿論にして辨ずるに及ばず唯その官立學校撲滅と題するは敢て激語を好むに非ず假に時流に傚ふて了解を易くせんとの微意なるのみ再び記して讀者の諒察を乞ふ              (畢)